喫茶店の夜のお仕事

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 湯煙が揚がる伽藍岳(がらんだけ)の山頂から見渡すと、東には湾が広がり、西には由布の盆地が広がり、年中、霧が立ち込めては、高速道路の往来する車の足を緩めている。    東に広がる湾までは扇状地のように海まで傾斜を伴いながら、湯煙がところ狭しと揚がっている。  この湯煙たゆたう街は古くから『別府市(べっぷし)』と呼ばれている。  この別府市の中央に位置する東荘園(そうえん)という町の住宅街の中に小さく佇む喫茶店『琵助(びすけ)』は、ちょっとした珈琲の旨い喫茶店だ。  営業は朝の七時から十五時と短く、けれど住宅街にあるせいか、昼頃に仕事の休憩をする人々が来るというわけでもなく、静かな雰囲気を一日中、味わうことの出来る憩いの場となっている。  僕にとってはだが。    今日も僕は重い脚を運んで店内に置いてある小説を手に取った。  タイトルは『妖怪との恋』。  なんとも奇々として、現実味のないタイトルだが、文章から漂う世界観は何故か、存在してほしいと願いたくなるような登場人物の個性を活かしている。   「いらっしゃいませ」    そう言って、カップに注がれた珈琲が芳しい豊かな香りと、美味しそうに湯気をあげている。  まるで湯煙のようだなと、稚拙に回った思考は口に出さずに珈琲と一緒に飲み込んだ。   「ありがとう。いつも美味しいです」   「そう言われると、煎れ甲斐がありますよ」    物腰の柔らかなマスターの優しい声もまた、店の味だなと、感心する。    マスターは、恐らく五十代後半くらいだろうか、白髪が混じった頭髪は、歳を感じさせるが、何故か生気を感じさせる力強さがある。  腰も真っ直ぐに立ち上がり、重力に負けることなく、凛と佇む。   「いつも通り、ツナサンドと自家製サラダでいいかな?」   「はい、ありがとうございます」   「(あかり)君はいつも美味しそうにしてくれるからね、作ってて気持ちいいよ」    そういうと柔らかな笑顔を向けてくれた。
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