勿忘草と、妖怪の慶び

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 僕は部屋の前までゆっくりと進んでいく。  穢れは床を漂うように黒々と流れている。   「おい、甘ちゃんはいい加減、控えといて、ちゃちゃっと済ませてやれよ」    隠は僕の後ろをついて来る。  いくら隠でも濃度の高い穢れは体に毒だが、穢れは僕を避けるように掻き分けられて、隠もそこに収まって歩く。   「何回見ても便利やな」   「物みたいに言わないでよ」    僕は化けている間だけは、穢れを寄せつけない。  これは僕のルーツに由来する。   「さすがに気付いたみたいやな。存在感出しすぎなんよ」   「しょうがないだろ。この姿じゃないと--」        ギィィィ。        紅音さんの部屋の扉が開き、部屋に溜まっていた穢れが厚みを持って、勢いよく流れ出てきた。  「ひっ」と隠は奇声を上げる。   「……だれ?」    紅音さんの声。  けれど、『馬鹿』の影響だろう。  低重音で、微かにだけ高い声が混ざっていた。  憑依されて声が此処まで重なるということは、"陰の乙"程度だろうか。  "陰の乙"とは、妖怪に憑依された人間がどれだけ支配されているかの程度を表す。  五段階で"(きのえ)"、"(きのと)"、"(ひのえ)"、"(ひのと)"、"(つちのえ)"とされている。   「優希さんの友達の(あかり)と言います。紅音さんを助けに来ました」   「助け? そんなの求めてないよ?」    やはり声は妖怪じみている。   「ドスの聞いた声やな」    隠は失礼など考えずに、思ったことを口に出してしまう。  これがいつもややこしくするので、尻尾で隠の顔を軽く叩いて黙らせる。   「思ったことを言うただけやん」    ふて腐れる隠。  勘弁してくれ。   「それに貴方--」    紅音さんの声と共に、部屋から真っ黒に染められて、風景の中でそこだけがくり抜かれたような紅音さんの姿があらわになる。   「勿忘草が怖がってるわ」    そう告げると、手の平から勿忘草の白い花が、黒い空間に現れる。  それだけが白く、ぼんやりと光を放っている。   「それを僕に頂けませんか?」    単刀直入に用件を伝える。  妖怪に憑依されると衝動的で不安定なので、激昂(げきこう)する前に用件を伝えないと、何も聞き入れてもらえなくなる可能性もある。
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