1.読逍遥《しおりなければよみとまれぬ》

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 大きくあくびをして、首の凝りをほぐすために頭をぐるりと回す。身体は軽く、それはぼくが今までまったくなにも、まったくなにも経験を積んでこなかったことを示しているかのようだ。ははっ、ぼくは軽いな。体重計に乗ると47.5キログラムしかない。これは軽いのか? 本に換算すると何冊分だろう? 試しに乗せてみようと思い本棚に向かい、そこにある適当な一冊を手に取る。すると、取った拍子にページに挟まっていた栞がはらりと落下した。見覚えのないその薄桃色の栞を拾い、顔の前に掲げて記憶からあぶり出すように矯めつ眇めつする。そしてやっと気付く。そこに記された彼女からのメッセージに。 《膨大な時間のその総量に恐れをなす前にまず前に進むのよ》  ぼくはその言葉に従って一歩前に出た。顔面から本棚に激突、数冊の本が落ちてきて、そこに挟まっていた無数の栞が床に散乱する。その一枚一枚に書かれた言葉は、もう見飽きた本のなかの無意味な言葉よりも、はるかに情感を揺さぶる。眩暈にも似たその振動は、周気と微小に摩擦して、ぼくの体温をわずかに上げる。眉間はほのかに熱を帯び、ジっと手に汗がにじむ。少し温かくなった血液は皮膚からゆらりと煙立ち、ぼくの輪郭を陽炎のように歪ませて、ここにはいないが、このどこかにはいる、ぼくが、栞をひとつ拾いあげ、そこに書かれた言葉を読む。
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