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チャプター1(過去)
―あの図書館に行けば、また俺と再会できるさ。すぐにな―
「坊ちゃん、お見合いの話は進んでいるのですか?」
僕が生まれる前から高山家に長年仕えているお梅が、廊下拭き用の雑巾を持って尋ねてきた。もう今年で63歳になる老婆だが、それを感じさせない働きで40年間この家の家事や雑用を毎日こなしているので、商売気質で頑固な僕の父親もお梅には頭が上がらない。
「またその話ですか?可もなく不可もなくという感じですよ。」
僕はそう言って、頭を掻く。僕の家は小さいながらも酒屋を営んでいる。その繋がりで今回のお見合いの話が浮上したのだが、僕は正直気が進まないでいた。
一方、相手方は呉服屋を営んでいて、つまりは同じ商人である。違うとすれば、店の規模と利益がうちの酒屋よりも遥かに上をいっているところだろう。もうすでに相手方の娘と何度か食事を共にしたのだが、地元でも評判の娘だけあってまだ若く器量も気立ても申し分なかった。それにもかかわらず、30歳になっても家業を継ぐ気もなく人様には言えない職業をしている僕に、その娘はどういうわけか好意的らしいのだ。
「またそんな言い方をして・・・。こんな良い縁談はそうはないですよ。」
そんなことは言われなくても分かっていた。僕の気が進まない理由は、身分の差や相手方の娘がこんな僕には勿体ないくらい評判の女子であるという理由だけではない。
「私はまだこの仕事を続けたいんですよ。」
「本当にそれだけ?」
「それだけですよ。では、僕はもう行きますよ。」
僕はお梅に渡された上着を羽織り、靴を履く。
「また今日も夜遅くまで、お出掛けになるのですか?今夜は相手方の娘さんが食事にいらっしゃる日ですから、早めに切り上げてくださいね。」
お梅は呆れた表情で、埃まみれの雑巾を水桶の中に入れる。
「ええ、それはもちろん。」
「あまり無理しないでください。最近の坊ちゃんは働き過ぎですよ。」
お梅は深く刻まれた皺をさらに寄せる。時には危険を伴う仕事を請け負うこともあるので、その度にお梅はこのような表情をして忠告する。
「それは仕方のないことですよ。今回の仕事は今までとは比べ物にならないくらいに大事な依頼ですから。」
僕の名前は高山利彦。
「それでは、行ってきます。」
探偵をしている。
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