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プロローグ
プロローグ/
――ネビル・シュートの『渚にて』という小説には、この世界の終わりにあたっての人間の生き方が描かれていたのだけれど、それは他者への愛情であるとか自分への誠意であるとか、人間が生きていく上での尊厳なんて呼ばれる物を、世界が終わるその瞬間まで真摯に守り抜く人々の姿であったな。
正義であるとか、情であるとか、一昔前までなら正しいとされていたことは一笑に付されがちで、それでいて誰もが自分が歯車の一部であると認識しながらも、それらの全てを忘却できるほどには誰もが無機的に成り切れない世界の片隅で、少女はそんなことを思った。
その電気街は多くの勤め人の帰り道になっていた。夕暮れ時をやや過ぎた時間のことである。人々は一方向へしか進み得ないエスカレータに運ばれていくように、一路、愛する家族が待つ各々の家へと歩みを進めている。流れに乗らないのは、少女一人だ。
閉店間際の電気店のショーウィンドウに飾られたテレビからは、この時間帯特有のバラエティー番組が流れている。帰路の途中のOLの中には、自分が贔屓にしている芸能人でも出ていたのだろうか、足を止めてしばしの間、道中のテレビに見入っている者もある。
しかし少女は素通りする。少女はバラエティー番組に興味がない。バラエティー番組というよりも、テレビというものを観る習慣を少しばかり前に捨ててしまっていたからだ。今の自分には、無駄にできる時間は少しもない。その一念は、随分と前から均衡を欠いている今の少女の精神機構の中では、割合上位に位置する確かさを持っていた。
――私は。
少女が自問する頃、少女は電気街の終着点へとたどり着いた。
幸せへと流れ着く河の流れのその中心に、一点、流れを堰き止めるように一人の女性が立っている。
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