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そこはおそらく服屋らしい。
彼の世界では風変わりとみなされる衣服が無数に整列されており、魔法がないとはいってもその生産力は驚くものがあった。
(誰かいるか?)
彼は店員がいることを期待して声を出そうとした。
腕にはめている念話の魔法具が機能しているなら言語の違いは問題ないはずだ。
だが、いいようのない不安がそれを躊躇させた。
大きな声を出すとまずいことになると勘が囁いたのだ。
彼は陳列棚の迷路を歩き、さきほどの音の発生を探す。
誰かが物音を立てたはずだ。動物ということはないだろう。
棚を右に曲がり、左に曲がり、奇妙な服をいくつも見ているとふと「この世界では自分の格好は異常なのだろうな」と思い始めた。植物の繊維を魔法で変形させて作ったものだが、ここでは変人に見えるだろう。
(せっかくだから着てみるか……)
彼は近くにかけてあった上着や脚絆を試着してみることにした。
試着室と思わしき小さな部屋があるが、誰もいないのでその場で服を脱いだ。
選んだものは白と青で染色されたものに謎の文字が書かれているが、それがどの年齢層なのか、はたまた男用なのか女用なのかもわからない。やはり店員がいないとどれを着るべきなのか判断しようがない。
ちなみに、彼はこの世界の現金など持っていないし、持っていても払う気はない。ごく短時間なら魔法で精神を操れるので店員をだまして勝手に持っていくつもりだ。自分は寿命が半分しかなく、この世界の支配者になるのだから盗みなど躊躇するはずがない。
(店員はいないのか?このまま出て行くか……)
彼がそう思っていると「カーン」という音がまた聞こえた。
やはり人がいるじゃないかと思ってそちらへ行くと店の最も奥に「それ」はいた。
老人のように背を曲げ、両腕をだらんと垂らして壁のほうを向いている。
おそらく女性だろう。
足元に金属製の何かが落ちており、それを蹴ったことであの音がなったようだ。
「なあ、あんたは店員か?」
彼は聞いた。
それは首を曲げて彼のほうを見た。
若い女性―――に似た別の生き物。
それが人間でないと彼は本能的にわかった。
それは彼を見て涎まみれの口を開ける。
白く濁った2つの目からは何の感情も読み取れなかったが、一つだけ確信した。
逃げないと死ぬ。
彼は反転して全力で走った。
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