序章:世界を捨てた男

1/1
9人が本棚に入れています
本棚に追加
/121ページ

序章:世界を捨てた男

「願いは何だ?」 禁忌の召喚魔法によって現れた上級悪魔は言った。 誰もが魔法を使えるこの世界でも悪魔召喚は危険極まりなく、発動に必要な触媒は絶対に市場には出回らない。彼はいくつかの重い罪を重ねてそれらを手に入れ、禁忌を破ったのだ。 「別の世界に連れて行ってくれ。人間がいて、俺だけが魔法を使える世界に」 「……ほう。そんな願いは初めてだな」 悪魔は12個の目を細め、1つの口を歪めた。 それは人間でいえば笑った顔なのかもしれない。 「なぜこの世界を捨てる?永遠の命や強大な魔力を得たいという願いなら何度か聞いたが、お前は欲しくないのか?」 「いらない」 彼は言い切った。 「俺は世界の支配者になりたいが、世界中の魔術師と戦うのはご免だ。魔法のない世界なら楽に頂点に立てるだろ?」 「なんと怠惰な人間だ」 さすがの悪魔もあきれたらしい。 彼は本当に怠惰だった。才能もなく、努力もしない男は魔術学校を最下位の成績で卒業し、そのまま社会の底辺で生き続けた。楽して出世する方法もなく、ある日ふと死にたくなったが、どうせ死ぬなら最後に大博打を打ってみようと思った。悪魔と契約し、「魔法がない世界」へ自分を送り込んでもらえば自分はたった一人の魔法使いとして頂点に立てるから。 「こんな人間は初めてだ」 「どうでもいい。叶えられないのか?」 「可能だ。ただし、寿命の半分をもらうぞ?」 「構わない」 「ほう、ずいぶんと命に未練がないな」 「それくらいの代償は当然だろう?」 彼は当初は死ぬつもりだった。半分なら安いものだ。 「よかろう。人間がいて、お前以外は魔法が使えない世界。それが条件だな?世界の"詳細"は私が好きに決める。異論は許さん」 「ああ、好きにしろ」 術者は契約の詳細を決められない。 悪魔の気まぐれで契約を歪めることも多い。 だからこそ頭がまともな魔法使いは悪魔と契約などしない。 彼は怠惰な上にまともではなかった。 「……この世界にするか。目をつぶれ。転移を始める」 彼は言うとおりにした。 すぐに体の感覚が消えてゆく。 意識もだ。 彼は思った。 (ああ、まるで眠るときみたいだ。いや、きっと死ぬときもこんな―――) 次の瞬間、彼はこの世界から消滅した。
/121ページ

最初のコメントを投稿しよう!