翡翠に告げる物語

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 子供の頃から本が好きだった。  清良はソファに背中を預け、ハードカバーの表紙を閉じて指でなぞる。一つとして同じ物のない表紙を捲ると広がる世界は清良を夢中にさせ、まるで物語の登場人物になったかのように心を弾ませてくれた。研究書であれば自分なりの考察をしたり、参考文献から違う本を探したり楽しみ方は色々ある。  就職してから頻度は減ったけれど、休みの日ともなれば古書街へ足を運ぶほどには本に浸かった青春を送っていた。  本好きで変わった人の烙印を押された清良に女性の影は薄く、本人も「まあいいか」と恋愛沙汰とはほぼ無縁で過ごしてきたはずだった。  ――何が起こるかわかんないよな。  古書フェアがあると聞いて赴いた先で清良はこの部屋の住人昴と出会い、紆余曲折を経て恋人――それも男だ――ができた。いま思い返しても、どうしてこうなったのかわからない。清良はゲイではなく、大学時代に彼女がいたこともある。お互い合わないと判断して円満に別れて、それ以来特定の相手はおらず積極的に作る気もなかった。  昴とは古書フェアの広くない通路でただすれ違い、目があっただけだったと記憶している。  ――僕の顔を見て驚いた顔するから、なんかしちゃったのかと思ったな。  清良を見て目を丸くした昴に首を傾げつつ、会釈をして通り過ぎようとした手を取られたのだ。長くしなやかな指は見た目に反して力強く、振り払うことも忘れ清良は掴まれた手首を凝視した。 『お前、名前は?』 『は?』  唐突な行動と問いかけに間抜けな声を出してしまった。  あの後ばつが悪そうに昴に謝罪され、どうしてか放っておけず交流を持つようになったのだ。きっかけだとか、どちらが先かとか今となってはわからないが、興味が好意に変わりこうして恋人となった。  昴の年齢は二十九歳で友人が営む輸入雑貨店でバイヤーをやっている。輸入雑貨店とはわかり易くしただけで、海外の本でも国内の民芸品までなんでも扱っているらしい。  普段の昴は淡々としていて、あまり自分を語りたがらないから実のところ知っている情報は少ない。  ――あとは、寒いのが苦手とか。髪はなんとなく伸ばしているとか。
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