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普段と変わらない通勤ラッシュの光景。
見慣れているはずのその人垣に、どうしてか足は止まる。
ぎゅうぎゅう詰めの車両をホームから見送って、見送って、そしてまた見送って……。
気付いたら、9時を回っている。
けれども自分は、段階的に収容されている人の量が減っていく車両をそれでもまた見送っていた。
11時を過ぎ、ガラ空きとなったそれにようやく乗り込む。
これでは会社に大遅刻だ。
けれど、今日は有給を取っている。それを気に病む必要はない。
なら初めから混み合う時間帯を避ければよかったものを――自分でもそうは思うのに、普段の生活リズムで体は動いていた。
今日という日に近づくほど、こうして何も考えずにぼんやりと行動する事が多くなる。
11月16日――
毎年のその日、自分は県を二つ跨いだ遠くへと、電車を乗り継いで向かう。挨拶と、そして謝罪のための品を持って。
こんなものを持っていってとしても、果たして本当に受け取ってもらっているのだろうか。形式でしかないそれらをただ受け取るだけ受け取って、実際は捨ててしまっているのではないか。ならこんなものを用意するだけ毎度無駄なのではないか。
毎年、そんな風に考えてしまう。
しかし、自分は飽きもせずこの高級な菓子折りを持参する。それでしか、まるで誠意と呼べるものを表せないとでも言わんばかりに。
特急や新幹線は決して利用しない。無理に時間を掛けるよう、ゆっくりと各駅停車で目的地まで向かう。
それは有り体に言って逃避の類だった。
精神の一部が、そこへ向かう事を拒んでいるかのようだ。
実際、その通りなのだと思う。
けれど、これは”義務”なのだから、逃げ出してしまう訳にはいかない。
車内は空いていた。
乗客はまばらで、ほとんどはお年寄り。平日のこの時間帯では、当たり前の光景だったろうか。
唯一、前方の四人掛けの席に家族連れがいた。
人の好さそうな中年の夫妻に、真面目そうな高校生くらいの女の子と、中学生らしい生意気さがにじみ出ている男の子。
行楽帰りなのだろうか――両親がそれぞれ大きな紙袋を抱えて、全員がどこか朗らかそうだ。
しかし妙だったのは、父親だけがきっちりとした背広姿で正装している事。他の3人は私服姿で、父親らしき人物だけその装いが違う。
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