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生ごみの腐った臭いが漂っていた。洗い場には水が溜まり、締めきっていない蛇口から水が落ちて下の茶碗の水面に波紋を作っている。
波紋に彼は己の顔を映し出した。
髪はぼさぼさに伸びている。目は落ち窪んでいて、顔と云わず全体的に痩せ過ぎだった。
きゅ、と水道の蛇口を締めた。
「うおおおい」
台所と一枚隔ててある硝子戸の向こうから声がした。
「ただいま」
万年床の上からアルコール臭を漂わせながら、父親は命じる。
「酒え、酒買って来い」
その顔には黄疸ができている。完全なるアルコールによる肝機能障害だ。
彼は万年床の枕元の小箱の中身を確認する。しゃがんだ骨ばった背中に父親の酒を欲する声がぶつかる。
彼は振り返って微笑んだ。
「ねえ、父さん、ヤろうよ」
「酒……」
「酒よりもっとトリップ出来るだろ」
「そうだなあ」
当然、布団が開かれる。
父親のアルコールの染み込んだ布団に潜り込みながら、彼は父親の胸板に顔を擦り寄せる。
父親は性急に彼のズボンと下着を脱がせる。
「ねえ。父さん。虫を飼った事あるだろ」
父親は聞いた風が無い。
「俺は日本の呪術について色々と勉強したんだよ。父さんが飲んだくれてる間に」
「誰が飲んだくれて……」
怒声を唇で塞いでから続ける。
「その中に蟲毒の術っていうのがあってさ。土の中に壺を埋め、蛇や蛙や虫を入れて、共食いさせて、最後に生き残った奴を呪術に使う。生き残った奴が蟲毒」
抱き締める。
「ねえ、うちと似てないか? 祖母さんの介護に疲れて祖父さんが自殺して、祖母さんの介護を母さんが放棄して祖母さんが糞塗れで死んで、母さんが耐え切れずに気を狂わせて自殺して、姉さんが風俗をクビになったから父さんに抱かれて、自殺したって父さんは言ったけど、あれ、父さんが殺したんだろ?」
父親は初めて呻き声を上げた。ぶるぶると震える唇から出てくるのは何という言葉だろう。
「でもね、現実に蟲毒を使うにはという蟲が必要なんだよ。もっとも強い蟲毒は、金蚕という蟲だ。しかし金蚕は如何いう蟲なのか、現代には伝わっていない。肝心要が伝わっていない。駄目だろ。本当に駄目だろ」
べろりと父親の腕を舐め上げる。そこにあるのは無数の手首の傷。
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