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太陽が頂点から傾き、アンティーク調の小窓からほのかな暖かみのある日差しが斜めに入り込むのは午後も三時のこと。
真鍮のドアベルがチリンと鳴って、客人が一人、このカフェを訪れる。
こんなアパートの一室ほどの広さしかないカフェにも客人は訪れる。 ほとんど隠れ家な存在だが、知る人ぞ知ると噂がこの下町の界隈で広がっているそうで、このカフェもゆくゆくは大きく発展すると期待が高まっている。
しかし、『大きく発展する』というのも、もうとっくに昔の話だ。
何気なしに回顧していただけだ。
そんな話は置いておいて、いまは訪れた客人のもてなしに集中する。
「......いらっしゃい......ませ」
わたしの声は酷く小さかった。 きっと客人には聞き取りにくかった、いや、聞こえなかったに違いない。
その消え入りそうな声に、客人は怪訝な視線を送ってくる。
何年もカフェを経営しているにも関わらず、対人コミュニケーションには慣れない。
「ーーあの、営業時間ですよね?」
入社したての色を濃く感じさせるスーツ姿の男性は、店内を見渡しながらそう言った。
「......はい」
精一杯に大きく言ったつもりでも、男性の耳には届かない。
男性は更に困った様子で「ええっと」と続ける。
「定休日でしたらすみません。 僕は帰りますので」
踵を返しそうになる男性に、わたしは慌てて首を横に振った。 声に出せないならジェスチャーで対応すれば良い。
「あ、営業中なんですね。 よかった」
ほっと安心したようで、男性は目の前のカウンターチェアに腰掛ける。 わたしは目を合わせる事なく、パウチ加工のされたメニューをすっと渡す。
「へえ。 意外とメニューがあるんですね」
こくりと頷く。
男性はメニューに載せた人差し指を下になぞり、
「じゃあ、無難にこのアイスコーヒーで」
「かしこまりました」
くるりと背を向けて、小さめの脚立を使って壁掛けシェルフからコーヒー豆の保存缶を取る。
缶に保存されていた豆をミルに入れて、ガリガリと力を込めて粉砕する。 お湯を沸かしている間にドリッパーにペーパーフィルターをセットし、粉砕した豆を均一に入れる。沸いたお湯を軽く注ぎコーヒーを蒸らしてから、「の」の字にお湯を注いで抽出し、氷を三つ入れたグラスに注げば完成だ。
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