13人が本棚に入れています
本棚に追加
家族が死者と夜を過ごす場に、時折、管理人がやって来て、「大丈夫ですか?」「休みませんか?」と優しい声をかけた。1度、2度とトモエは礼だけ言って断ったが、3度目は違った。
「ありがとう。そうさせてもらうわ」
トモエが管理人の声に応じて棺の前を離れたのは午前1時を回った時だった。翔琉は残った。
「父さん。知っているかい?」
1人になった翔琉が話しかけると、微笑む譲司の遺影が「私は何でも知っているよ」と応えたように感じた。
「父さんは何も知らないんだ」
誰もいない集会場に翔琉の低い声が波紋のように広がって消えた。
「母さんは、あの管理人と不倫しているんだ。父さんの帰りが遅いから、管理人室で……」
翔琉が教えても、父親の表情は変わらなかった。そんなことは知っていたとでもいうように、優しく微笑んでいる。
「母さんを許すというのかい?……バカだよ」
言ってしまってから、とても虚しいものを感じた。
翔琉の唇からバラエティー番組のオープニング曲がこぼれた。最初は歌詞を口ずさんでいたが、やがてそれは口笛に変わった。父親がしたように……。
『夜の墓場で口笛を吹いてはいけないよ。死霊に憑りつかれるからねぇー』
女の声が脳裏をよぎった。霊の存在など信じてなどいなかった。万が一、それがいたとしても、父親の霊ならかまわないとも思った。
最初のコメントを投稿しよう!