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 彼は大手の家具メーカーの経理をしている。真面目で律儀でさらに几帳面な彼にはぴったりの仕事だ。  ある日の帰り道、改札を通り山手線のホームへと階段を上がる。その途中、自分の足元に下向きの矢印のマークが見えた。下りと上りの標識のようなマークだ。まずいと感じた彼は上矢印の左側へ寄ろうとしたものの、遮る柵に阻まれて左側には寄れないことに気がついた。  まだ帰宅ラッシュではない時間帯で、さほど駅を利用している人も多くないのでそのまま上がりきってしまおう。と、彼は考えない。  階段を半分ほど上がったにもかかわらず、躊躇なく踵を返して下りきり、柵の左側から再び階段を上り始めた。一本電車を乗り過ごしたものの、母親の作る夕飯を宛てに意気揚々と帰宅したそうだ。  細かいこと気にしてたら疲れない?と私は冗談交じりに彼につっかかったことがある、「疲れてもいいよ、僕が誰も困らせないですむなら」彼はスマホから顔を上げずに穏やかにそう言った。手を上げて歩道を渡りかねないな、これは。     
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