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日記
「まさや、寒いなぁ・・、こっちは、この冬一番の寒波とやらで、凄く寒いよ」
二月の或る日、俺はイット缶と日記を持って、まさやの墓参りに行った。日記を読み終えた時の絶望感と喪失感は、言い様も無い程だった。読んでいる間中、七歳の、十歳の、十五歳の、十七歳のまさやが、俺の前に座って微笑んでいた。まさやに対する俺の感情が、愚かで幼稚で・・、自己嫌悪に陥ってしまった。俺の生き方を根底から覆す、そんな内容に俺は打ちのめされた。正直、生きる気力さえ失いかけていた・・。墓参りに行けるまでになったのは、雛子のお陰だ。俺は読み終えた日記を、雛子にも読ませようと思った。「じゃ、遠慮無く」と雛子は言った。何日かが経ち、日記を読み終えた雛子が俺を呼び出した。そして、想像以上に落ち込んでいる俺に、説教を喰らわした。
「今野君、ちゃんと読んだの?」
「読んださ・・・」
「どこを?」
「だから、隅々までだよ・・・」
「どこをどう読んだら、そんなに落ち込めるのかしらねぇ」
「・・・」
「まさや君は、これをあなたに読ませた事、きっと後悔してるわね」
「お前、言い過ぎだろ?どういう意味だよ!」
「私の好きな今野君は、そんなじゃない」
「・・・」
「まさや君にとってのあなたが、どういう存在だったか理解したの?その様子じゃ、理解も何も無いでしょうね・・。まさや君は、感情を越えた部分であなたとつながっていたかった。それが分からないの?」
「分からない・・・」
「まさや君は体が弱い分、神様からある種の才能を貰ってた。」
「何、それ?」
「彼は、あなたの事なら何でも分かってた。傍にいなくても『あいつが笑ってる』『あいつに何か辛い事が起きてる』って、手に取るように分かってたわ。そりゃ私も、最初は半信半疑だったわよ。でもその内に、二人が前世で一人の人間だったのかもしれない、って思い始めた。不思議だったわ・・。だけど、彼は、決してあなたに近づいて行こうとしなかった、どうしてかしら?」
「だから・・、俺が、俺があいつを故意に避けてたから・・。俺が全部悪いって、そう言いたいんだろ?」
「良し悪しの問題じゃないのよ。彼は、あなたがこの世に存在してくれているだけで良かったの。故意に遠ざけられても、傍にいられなくても平気だった。分かる?彼は、あなたともっと深い部分でつながっていると信じていたのよ。あなたは、自分のこれまでの生き方を全部否定された、と思ったでしょう?何故って、あなたのバイタリティの源は、まさや君への対抗意識だったから。でも、それって自分の立場からしか考えてないって事じゃない?だから自己嫌悪に陥ってるんでしょう?」
「違う・・」
「違う?どこが?図星でしょう?落ち込んでいるのは、自分の努力が無駄だったって思っているからでしょう?バカみたいだって思っているからでしょう?」
「違う、そうじゃない・・・」
「今野君・・、もう一度、もう一度だけ、読んでみて!きっと違う感情が湧く筈だから」
俺はショックだった。何がって雛子の方が、まさやを数段良く理解していたという事実を、まざまざと突きつけられたからだ。俺は、雛子に言われるままに、もう一度読み返した。
「みつけた」
「おかあさん、ぼくみつけたよ!おかあさんがみつけたときはピンとくるって言ってたけど、ほんとうだった。たくやくんっていうんだ。今日、にゅう学しきでたくやくんがゲロしてないた。ぼくまで、かなしくなった。おかあさんが、にっきをかいてみなさいっていうから、かきはじめたんだけど、えいごで、だいありいっていうんだって。なんだか、はなの名前みたい」
「みんながたくやくんのことをゲロチンってよぶから、ぼくおこったんだ」
「学校はおもしろい。べんきょうはおもしろい。たくやくんはもっとおもしろい」
「たくやくんがうれしいと、ぼくもうれしい。たくやくんが悲しいと、ぼくも悲しい」
「たくやくんは、ドリルをドルリって言う。ドリルだよって教えると、むきになって言い直すのがおかしい」
「だいありいを書きはじめたら、かんじの辞典をいっぱい見るようになった。はやくいろんなことばをおぼえたい」
「毎日たくや君とあそべるのがうれしい。宿だいもして、ときどきごはんもいっしょに食べる」
「漢字の書きとりテストで、百点をとった。たくや君もだ。たくや君は百点をとると、かならずふりむいてピースする。かわいい」
「たくや君は、なんでもおいしそうにいっぱい食べる。ぼくはすききらいが多いけど、たくや君といっしょだと、なんでも食べられる。おばあちゃんがほめてくれた」
「今日も、お兄ちゃんがむかえにきて、帰っちゃった。次はとまってくれないかなぁ」
「お母さん、ぼくの足のあざ、とつぜんできたでしょう?たくや君も同じところをけがしてた。家のそばで転んだんだって。ふしぎだな」
「今日病院に行ったら、浅沼先生が、どうしてそんなに元気になったの?って。ぼくがあんまり元気だから、おどろいてた」
「たくや君はなんでも良くできる。勉強も運動も。ぼくもがんばろう」
「もうすぐプールが始まる。やせっぽちだし、胸に大きな傷があるから、はずかしい。お母さんはだいじょうぶって言うけど、なんだか心配だ」
「良かった。たくや君が、それどうしたの?って聞いたけど、なんでもないよって答えたら、おれも足に傷があるよって。みんなは気がつかなかったみたいだ」
「今日から二年生。今度、一年生といっしょに給食を食べるんだって。一年生ってかわいいから、いっしょに給食を食べるのが楽しみだ」
「今日、学校の帰りに本屋さんで立ち読みをしていたら、おじさんに怒られた。たくや君と二人で大急ぎで逃げたけど、転んでランドセルの中身をばらまいちゃった。二人で大笑いして、お腹が痛くなった」
「もうすぐ運動会だ。まだリレーはないけど、走るのは好きだ。たくや君も走るのが速い。去年は2人とも一等賞だったっけ。」
「今年は学芸会がある。この間、げきの配役を決めた。主役はやっぱりたくや君だ」
「ぼくの好き嫌いは、本当に減った。なんでも食べられるようになったのは、たくや君のおかげだ」
「たくや君は、家のブランコが大好きだ。今日、目をとじてこいでいたら、気持ちが悪くなってはいちゃった。バカだなぁ」
「最近ずっと体の具合が良いのは、たくやのおかげだと思う。たくやと又同じクラスになれて良かった」
「今年から運動会でリレーがある。今日は体育の時間にタイムをはかった。たくやと俺は50メートルが7秒。これって速いのかな?もし、二人とも選手に選ばれたら、俺はたくやにバトンを渡したい」
「最近、走る事が多いけど、心臓がちっとも苦しくない。治ったのかな?」
「五年生になった。またたくやと同じクラスだ。六年になる時はクラス替えがないから、これで俺達は六年間同じクラスってわけ。たくやはまた学級委員に選ばれた」
「たくやを見ていると、リーダーシップがどういうものか分かる。たくやが、こうしよう!って言うと、なぜか安心する。いつも皆の中心にいるたくやが俺の親友だなんて、これ自慢だよな」
「児童会の選挙が近い。俺はたくやといっしょならやっても良いかなって思う」
「たくやが、最近口をきいてくれない・・・。どうしたんだろう?」
「たくやが会長に立候補すると思っていたのに、どうやら違うらしい。どうしてだろう?」
「今日、生まれて初めて女の子を怒った。どうしてかと言うと、たくやに嘘をついたからだ。俺は、たくやが会長になるなら一緒にやるって先生に話したのに、女の子がたくやにでまかせを言った。だからたくやは俺としゃべらないし、遊ばないんだ。でも、今だけだ。たくやはきっとそんな嘘を信じない」
「同じ教室にいるのに、目も合わせようとしない。ショックだ」
「今日も俺を避けている。でも良いや、たくやが元気で楽しそうなら、俺も元気でいられるから」
「寒くなってきた。最近あんまり調子が良くない。やっぱり、たくやがそばにいてくれないとダメなのかなぁ・・」
「浅沼先生、いつも土曜日でゴメンなさい。本当は病院休みの日なのに、学校は休みたくないだろう?って言ってくれて、ありがとうございます」
「六年生になった。今年はたくやと仲直りできるだろうか」
「たくやが他のやつと仲良くしているのを見るのは辛い」
「お母さん、俺、私立の中学になんか行かないよ?たくやと同じ中学に行くんだからさ」
「中学入学。制服がきゅうくつだ。たくやとは同じクラスになれなかった」
「たくやはバスケ部に入部した。あいつとバスケを一緒に出来る連中がうらやましい。俺は小学校の時みたいには運動できない・・」
「中学に入って、たくやの才能は一気に開花している。あいつは元々オールマイティだから」
「相変わらず、たくやの怪我は俺に伝染するらしい。一昨日、たくやが部活で足首をねんざしたそうだ。どうりで俺の足首もはれているわけだ。お母さんに話したら、まぁそういう事もあるわよ、って。いやお母さん、こんな事普通は無いよ!」
「初めての試験が終わった。小学校の勉強が、いかにお遊びだったかが良く分かる。これは頑張らないと・・」
「中学になって、『だいありい』だと思っていたのが『diary』だと知った。カタカナで書くと『ダイアリー』だな。ずっと『だいありい』と書いていた自分が笑える」
「二年生になった。たくやの身長がグッと伸びてきた。もう少しで俺と変わらなくなる。あんなに小さくて可愛かったたくやが、ドリルをドルリなんていってたたくやが、凄く格好良くなって見とれてしまう。二年の内申は、受験に影響するらしい。本気モードだな・・・、これは」
「たくやと話しもしなくなって、もう4年。でも大丈夫、何も話さなくてもお前が今どういう気持ちかは分かるから・・。気持ち悪いだろう?だから、この事はお母さんと俺だけの秘密だ」
「いつもたくやのそばにいる女の子は誰だろう?去年から、こっそりたくやを見ていると、時々目があってしまうんだ。何か、変な男に見えているかも」
「小学校の時に、嘘をついて俺を怒らせた女の子が同じクラスにいる。ずっと気になっていたと・・、ゴメンねって謝っていた。たくやと俺が、あんまりベッタリいつも一緒にいるから、焼きもちを焼いていたんだそうだ。仲直りしたかって聞かれたから、あれから口も聞いてないよ、って答えたら、泣き出して困った。良いんだ、もう済んだ事だし、きっとその内好転するから・・」
「あの子、雛子ちゃんっていう名前だって。今日突然俺を訪ねてきて、何故だか皆が冷かしたから友達に聞いてみた。どうやら彼女は、学校一の人気者らしい」
「毎日一回は雛子ちゃんが来る。皆が冷やかすと『やかましい!』って怒鳴る。腰に手当てちゃって・・・、可笑しな女の子だ」
「雛子ちゃんは、やっぱりたくやの事が大好きなんだって。だと思った、あれだけいつも一緒にいるんだから・・。『あなたもでしょう?』って聞かれて驚いた。どうして?って聞いたら、『女の子は恋敵の存在に敏感なのよ』だって・・」
「中学の体育祭は、種目がいっぱいあって助かる。俺が走るの速いって知っている奴らが、走れば?って言うけど、今、全力疾走したら、どうなるか分らない」
「たくやは、やっぱり速いな。三人ゴボウ抜き!イイよなぁ~・・」
「たくやの回りは、いつも人だかりがしている。俺があの中に入れる日は来るのだろうか?」
「三年になった。あっと言う間の三年間だった。たくやと話さなくなって五年目。最近の俺は、もう一生あいつと話す事は無いのだろう、と感じている。想像するだけで、怖い」
「雛子ちゃんと毎日話す。たくやの様子を逐一話してくれるから、あいつの事が、手に取るように分る。俺の直感で分かる範囲は限られているから、有難い」
「たくやは、どこを受けるんだろう・・。どこだろう・・。最近の俺の関心事はそれだけだ」
「雛子ちゃんが『私に任せて!』と言う。絶対に探り当ててみせるって。三人で同じ高校に行こうって・・」
「たくやが受ける高校が分った。予想外だったなぁ。伝えに来た雛子が、可笑しかった。猛ダッシュで廊下を走って来たらしく、凄い顔になってた。」
「寒くなってくると、風邪をひかないかと、ビクビクする。風邪は天敵だ」
「お母さん、ゴメンね。今回も俺の我儘を聞いてくれて、ありがとう。そうだよね、わざわざ遠い学校を選ばなくても良かったよね?でもお母さん、知ってるだろ?俺は、たくやが傍にいないと生きていけないよ。と言っても、遠くから眺めているだけなんだけどね・・・」
「たくや・・、お前にとっては迷惑な話だろうけど、俺はお前の後を追うよ。ゴメンな。神の存在なんて信じちゃいないけど、お前との出会いだけは『神の導き』だと思うんだ。だから、こうして、まだ生きている訳だしな・・・」
「合格発表、三人とも合格。良かった・・・。たくや、もう少し、もう少しだけお前の傍にいても良いよな?」
「雛子から電話あり。泣いていて、何を言っているのか良く分からない。家においでって言ったらソッコウやってきた。雛子の顔は、泣き腫らした所為でブサイクだった。思わずふき出したら、怒って殴りやがった。詳しくは話さないが、たくやに何か言われたのだろう。雛子、大丈夫だよ。俺の見る所、あいつはお前の事を気に入っている。きっと上手くいくから」
「中学卒業。卒業式で答辞を読んだのはたくや。あいつ、声変わりしたな・・。俺はたくやの生の声を聞くのが、久しぶりだった。感激して涙が出た。お前、本当に変わったなぁ、三年間で随分と男らしくなったなぁ。とうとう三年間、只の一度もたくやと話さなかった。陰からそっと見ているなんて、ちょっとストーカーっぽかったよな。高校に進学したら、変化はあるのだろうか・・」
「入学式で、先輩達がオッサンっぽいのには驚いた。中学入学の時も先輩達が妙に大人びて見えたけど、高校はもっとだ。クラブ勧誘の場所で、面白いヤツに出会った。名前は山崎・・。あらゆる運動部のブースから声をかけられているのに、大汗をかきながら丁寧に頭を下げて、断り続けていた。ガタイが良いのに、どうして?って聞いたら、俺ウンチ(運動音痴)なんだよ、って言ってた。何か良いよな、あいつ・・」
「たくやとも雛子とも、同じクラスにはならなかった。まぁ、生徒数が中学の倍以上だから、確立は低いよな。残念だ」
「たくやは、俺の体の事を知らない筈だ。昨日、検診に行ったら偶然雛子と出くわした。マイッタなぁ・・。これも偶然だが、母親達が学生時代の友人だった。俺は、やむなく雛子に事情を説明したが、雛子が中々泣き止んでくれなくて、閉口した。何て言って慰めたら良いのか、皆目見当がつかなかったが『バカねぇ、慰めるのは私のほうでしょう?』って言いやがった。雛子ありがとう。泣き止んだ雛子は、たくやにこの事を話そうと言ったが、俺は固く口止めした。良いんだ、俺は、あいつがこの世に存在してくれているだけで良いんだ。俺はそれだけで生きていけるんだ・・。そう話したら、雛子が号泣して宥めるのが大変だった・・」
「雛子ぉ、行くわよぉ!」
「はぁい」
今日は、母の付き添いで大学病院に行く。この間の人間ドックで引っ掛かった母。再検査の結果が出たのだが、一人では怖くて聞きに行けないらしい。お姉ちゃんも妹も学校・・・。私は運悪く「創立記念日」で休み・・。貧乏くじを引くって、こういうのを言うんだ・・・。
高卒で小さな建築会社に勤めながら、一級建築士を目指し勉強していた父と、深窓の令嬢だった母は、運命的な出会いの末に結ばれた。横断歩道を渡ろうと信号待ちしていた二人は、ひと目で恋に落ちたらしい。(ドラマじゃあるまいし・・)
長く付き合っていたけれど、母の両親は何も知らなかった。祖父母は今でも、「あの時は、ショックで死にそうだった」と言う。あの時とは、母がひた隠しにしていた「彼」を連れて祖父母の前に立ち、挙句の果てに、「彼」が土下座をして「娘さんを僕にください」と言った時の事だ。家柄のつり合う良家の次男坊と見合い結婚させよう、と考えていた祖父母は、当然猛反対した。母は、ボストンバッグ一つを抱え、家出同然で父のもとに転がり込んだ。結婚式も新婚旅行も無かったと言う。一人娘で贅沢三昧だった母が、良く耐えられたものだと感心するが、母曰く、「愛の力」なんだそうだ。愛の力ねぇ・・・。
一級建築士の資格を得た父は、運良く実力を認められ、大手建築会社にヘッドハンティングされ、人並みの収入を得るようになった。勘当同然だったこの夫婦は、子供を身ごもった事で母の実家と和解する。祖母は、娘可愛さに、祖父に内緒で時々母の様子を見に行っていたそうだ。くたびれたシャツを着て洗濯物を干している姿を、息をつめて見ていた。貧しいのに、ちっとも不幸せそうじゃ無い娘が、不思議だったそうだ。祖母は、母を呼び戻すきっかけを待っていた。だから妊娠は、「渡りに船」だったに違いない。祖母は、父が実直で母をこよなく愛している事を既に知っていたが、祖父は、そう簡単には引き下がれるものか!と思っていたらしい。だって、祖父にとって母は「宝物」だから・・・。大事に大事に育てた愛娘を奪い去った男だから、そう簡単には許さない、と心に決めていたそうだ。ところが、父の人間性が祖父の価値観まで変えてしまったのだ。祖父は人間の価値を、家柄と学歴と社会的地位で判断する人だったが、父によって見事なまでに覆された、と言う。
今では、天涯孤独の父を目に入れても痛くない程の可愛がり様で、母が「いったい、パパと私のどっちが子供なのよ!」と、良く焼きもちを焼いている。そして五年前、父は姓を変え、母の実家の婿養子に入った。母も祖父母も父と出会って、ある意味、成長したのかもしれない。
この夫婦には三人の娘がいる。一番上の娘は美大生だが、学生の分際で既に絵を売っている。(それも結構良い値段で・・・)それから、あまり言いたくはないが、彼女は年頃のくせに臭い・・。集中すると何日もお風呂に入らないから、油絵の具の匂いで、半径5m以内には近づかないで欲しい、と懇願したくなる程臭い・・。あれは、女を捨てている。三番目の娘は、愕くほど家庭的で、もうどこにお嫁に出しても恥ずかしくない、と家族を唸らせている。私も、コイツを嫁にしたい・・・。私は、父が「男だったら良かったのに・・」といつも言う、2番目の娘。父がいない時の女性陣の「ボディーガード」は私である。自分ではかなり女らしいと思っているが、どうやら違うらしい・・・。
私は、この家族をこよなく愛している。特に母は、愛すべき対象・・。いつまでも、少女か少年のように無邪気で突拍子も無いから、放ってはおけない・・。家族皆が、この人を守る為に生きている感じがする。
病院の総合受付で母を待っていたら、凄く綺麗な女性を見かけた。どこかであった事がある様な気がしたが、思い出せずにいると、母が戻って来た。
「何とも無いって、良かったぁ!」
「ねぇ、あそこに凄い美人が座ってる」
「どこ?」
「ほら、あそこ・・」
「あら?」
母は、おもむろに女性に近づいていった。
「冴子?」
母が女性に声をかけた。
「桃ちゃんじゃないの!」
「桃子」は母の名前である。何がどうなっているのか・・、キョトンとしている私を母が手招きした。
「本当に、久し振りねぇ!娘の雛子よ」
「初めまして」
「どこかでお会いしたかしら?」
「はぁ・・、私もそんな気がしているんですけど・・」
「雛子、冴子は高校までの同級生なのよ。本当に久し振りだわ」
「桃ちゃん、相変わらず元気そうね?」
「うん、相変わらず糸の切れた凧よ、アハハ!」
「ウフフ、そうなの?雛子ちゃん、お母さんって無邪気で可愛いでしょう?」
「はい、まぁ・・」
「昔からそうだったのよ。誰かが傍で見張っていないと、危なくって」
「失礼ねぇ!」
「本当の事でしょう?」
「まぁね、弁解の余地は無いけど・・。それで、冴子どうしたの?具合が悪いの?」
「あぁ、ううん、私じゃ無いのよ。息子」
「息子さん?」
「そう、生まれつき心臓が悪くって」
「そう・・・、ゴメンね、聞いちゃいけなかった?」
「大丈夫よ、気にしないで。あっ、来たわ、まさや!」
まさや?馴染み深いその名前に振り返ると、そこには私の良く知る「まさや君」が立っていた。
「雛子・・・」
まさや君の顔は、困惑の為に歪んでいた。
「あら、彼が良く話してくれるまさや君なの?」
「うん・・。まさや君のお母さんだったんですね。時々お家にお邪魔しているのに、ご挨拶もしないで申し訳ありません・・」
「離れのまさやの部屋から女の子の話し声がするから、まさやにもやっとガールフレンドが出来たって、嬉しかったの。雛子ちゃんだったのね?」
「お母さん、只の友達だよ・・・」
「まさやが、いつもお世話になって・・、ありがとう」
「いえ・・」
私はドキドキしていた。生まれつき心臓が悪い?何、それ?どういう事?彼を問いつめたいという気持ちが、私の顔を強張らせていた。ジッと私を見つめていたまさや君が、フッと微笑んだ。
「お母さん、ちょっと雛子とお茶して帰っても良いかな?なっ、雛子?」
今にもその場に座り込んでしまいそうになり、よろけた私の腕をまさや君が支えた。
「そう?じゃぁ、あんまり遅くなっちゃ駄目よ?」
「うん」
二人の母親は、積もる話もあるからと嬉しそうに腕を組んで先に出発し、私はまさや君に促され長椅子に腰かけた。
「雛子・・・」
「何?何なの?どういう事?ちゃんと説明してよ!私、何も知らないじゃない!」
「雛子、落ち着けよ」
「落ち着け?落ち着いてるわよ!」
正直、私の興奮度はマックスに達していた。
「別に隠していた訳じゃ無いんだ・・・」
「隠していた訳じゃない?だって、私達、もう何年も友達で・・・」
ここまで言うのが、精一杯だった・・。泣き出しそうなのをずっと堪えていたが、一旦泣き出したら止まる事を知らないほど、涙が出た。まさや君は、静かに自分の病気の事とそう長くは生きられない事を語った。そして、今野君が何も知らないと・・・。
「そんなに泣くなよ・・、何て慰めたら良いのか、分からないよ・・」
「バカ・・・、慰めるのは私の方でしょ?」
「アハハ、まぁな」
涙が収まった私は、今野君に話そうと何度も勧めた。だけど、まさや君は頑として首を縦には振らなかった。
「良いんだよ、このままで。俺はあいつがこの世に存在してくれているだけで良いんだ・・・。それに、知られたく無いし・・」
長いこと友達だったのに、どうして気が付かなかったのだろう・・、私は自分の鈍さを嫌悪した。そして、この欲の無い友人が、失いたくない友人が生きている間は、何が何でも、この私が守ってあげようと心に誓った。
何だか酷く疲れた私は、家に戻ると姉のアトリエに直行した。アトリエは離れにあって、出入りは自由だ。私は、嫌な事や辛い事があると、何故だか必ずアトリエに行ってしまう。姉がいようといまいとお構いなしに・・。お菓子箱を開けて、お煎餅を失敬していると、姉が帰って来た。
「また来てる・・・。あんた、それ全部食べたら承知しないよ?」
「エヘヘ、お姉ちゃん、今日は綺麗じゃん!」
「デートだよ、デート」
「嘘ばっか・・・」
「何かあった?」
「えっ?何で?」
「アホか・・、何かなきゃ、ここには来ないだろ?臭いとか言ってさ・・・」
「うん・・・、ちょっとね・・・」
「どうした?」
私は、今日あった事を、姉に包み隠さず話した。
「・・・、あんたさぁ、人間の運命がいつ決まるか、知ってる?」
「知らない」
「受精した瞬間」
「そうなんだ・・・」
「雛子、何もしちゃいけないよ?」
「えっ?どうして?」
「雛子が、一肌脱いであげたいっていう気持ちは分からないでもない。でも、それやったら、あんたエゴイストだ」
「どうしてよぉ?」
「二人には二人の世界観がある。いくらあんたでも、そこに立ち入るのはやり過ぎだ」
「・・・でも」
「雛子が取り持って、上手くいったとしよう、で?一番満足なのは誰さ?」
「・・・・」
「一番満足なのは、雛子、あんたでしょう?」
「でも・・・」
「又『でも』かい?もし、まさや君が、死ぬまでたくや君と和解出来なくても、それはその子の運命だ。たくや君が何も知らないままだったとしても、それも運命なんだよ」
「でも・・・」
「私はさぁ、雛子がやろうとしている事は、タイムマシーンで過去に行って歴史を操作するのと何ら変わらないって、極論だけどそう思う」
姉の言う事は正しいのかも知れないけど、でもじゃぁ、まさや君は・・・、今野君は・・・、このままで良いの?このままお別れの時が来ても良いの?
「あれから、雛子の態度が変わるかもしれないと思っていた俺が、バカだった。雛子はそんなヤツじゃない。普段通りに、以前のままに接してくれるのが、有り難い。ありがとう、雛子」
「文化祭の実行委員長を引き受けた。考えてみれば、短い人生なんだから望んでくれる場所があるなら、答えなきゃな・・・。雛子のヤツ、心配だからって実行委員に名乗りを挙げやがった」
「雛子、大丈夫だって!そんなに俺にくっついてなくても・・。皆が何て言ってるか、知ってるか?『美男美女のお似合いの正副』だぜ?・・・まったく。どうする?って聞いたら、気にしないから平気って言いやがった。どうやら学校での俺を監視する役目を、お母さんから任命されたと思っているらしい。困ったなぁ・・・、あいつ結構小うるさいし・・・」
「毎年、冬が近づくと不安になる・・・。この冬を乗り切れば、又一年生きられる。たくや、元気か?」
「最近、つくづくこの学校を選んで良かったと思う。本当に良い学校だ。先生も生徒も骨太な感じで・・・、好感が持てるよな」
「たくやは、どこを受験するんだろう・・・、理系だよな・・・、あいつは秀才だからなぁ」
「山崎と雛子が、同時にたくや情報をくれた。二人共、ありがとな!そっかぁ、たくやはやっぱりT大か・・・」
「山崎、その『お前は良いよなぁ、出来るから』って言うの、よせよ・・・。大丈夫だよ、お前だって出来るだろう?」
「山崎は、あぁ見えて中々鋭いし、優しい。俺が病気持ちだって事に気が付いていたらしい。それから、いつもたくやばっかり見ていた事も・・・。頑張って、二人で今野の後を追っかけて、お前に振り向かせよう!と、顔を真っ赤にし、巨体をブルブル震わせて力説するあいつが、可笑しくて嬉しくて、泣けた・・・」
「もう何年たくやと話してないだろう・・・。山崎と雛子が情報をくれるし、俺の直感で、何となくあいつの心情は読めるけど、やっぱり直に話したい。たくやに話したい事が山ほどあるのになぁ・・・」
「寒くなってきた。十七回目の冬がやってくる。今年の冬も無事に乗り切れるだろうか・・・。受験もあるし、心身ともに結構大変かもしれない。たくや、頑張ってるだろうな・・、俺も頑張らなくっちゃ!母さんの心配事は俺の体調だけ。母さん、大丈夫だよ、気をつけるからさ」
「センター試験終了。上々の滑り出しって感じかな?雛子の「センター試験」はダミーだ。国公立に行くつもりは無いんだろ?雛子の狙いはたくやだけだもんな?」
「大学合格!たくやと山崎と俺はT大。雛子は狙い通り、おふくろさんの母校だ。(T大の隣だしな・・・)皆頑張ったよなぁ!雛子から電話があった。とうとうたくやに告白したそうだ。どうだったか分かる?って、お前の興奮ぶりから、どんな返事が返ってきたのかはお見通しだよ。良かったなぁ、雛子、本当に良かった・・・。六年間だもんな?長かったよな?この間、山崎に『お前、雛子の事が好きなんじゃないのか?』って聞かれた。『あぁ、好きだよ。でも雛子は別の男が好きだろ?山崎も知ってるだろ?』って言っておいた。俺の雛子に対する感情は、殆ど【同志】って所だ。山崎、俺の心を占領しているのは、いつだってたくやだけなんだぜ?」
「高校卒業、答辞はたくや。男に見惚れるなんて、どうかしてるよな・・。本当に良い学校だった。もし、この学校を選んだ理由を誰かに聞かれたら、本当の事は言えないだろうな・・・。動機は不純だったからな。でもそのお陰で素晴らしい三年間を送る事が出来た。先生方の弛まぬ努力に敬意を表したい」
「大学は広い。しかも人が多い。これは気をつけないと、人酔いするな・・。学部が違うからたくやとも会えないだろう。同じ大学にしたメリットは、果たしてあるのだろうか・・・」
「大学に入ってから、これを書くペースが落ちている。今ひとつ気力が湧かない・・・。限界が近づいてるって事だろう、あと何年だろう・・・」
「今日から、悪事をしでかすと実名が新聞に載る。母さんが泣く・・。そうだよね、まさか息子の成人式に立ち会えるとは、だよね?母さん・・・。俺思ったよりずっとカッコ良く育ったでしょ?もう少しの間、親孝行出来ると思う。母さん、お願いだからそんなに泣かないで・・・」
「最近、長年のたくやへの感情が、どういう類のものなのかを考える。友情、愛情・・・、違うな、肉親に対する『愛着』よりも、もっと深いものの様な気がしている。たくやには、あった瞬間から感じるものがあった。俺に超能力があるとは到底思えないが、それに近い不思議な感覚もいくつかあった。たくやの心の動きをいち早く察知できたって事は、ひょっとしたら俺達は、前世で一人の人間だったのかもしれないよな・・・。あいつは俺の体の一部なんだ」
「たくや、お前と話しがしたい。無性に話しがしたい。どんな些細な事でも、全部お前に話したい・・・。昨日、検診に行った。主治医の様子で自分の寿命があとどの位なのかが手に取る様に分かる・・・」
「大学は楽だな。代返もOKだし、休みがちでも誰も気に留めないし。これなら何とか単位を取って、卒業できる」
「構内でたくやを探すのが日課になっちまった・・。中々見つからないんだよなぁ・・・」
「最近の山崎は、母さんよりも心配性だ。ちょっと痩せちまったけど、大丈夫だよ、まだ逝かないから・・・」
「雛子、就職おめでとう!あの商社は、格好良いエリートがウヨウヨいるんだぜ?何だったら、たくやの事は諦めて、社内恋愛でもしてゴールインしちゃえばぁ?・・・こんな事言ったら、ぶん殴られるだろうな・・」
「たくや、お前はまだ勉強するんだな・・・。もう良いじゃないか、あんまり雛子を待たせるなよ・・・。俺は、就職を諦めたよ。俺に残された時間は僅かだから、母さんとゆっくり過ごすつもりだ。と言っても、雛子が週一回は訪ねてきて、凄く賑やかだけどな。たくや、お前は知らないだろうけど、雛子は俺の親友なんだぜ?知ったら、きっとビックリするだろうな」
「今日も雛子が来て、上司がとんでもなく仕事が出来ない、と怒って帰って行った。たくや、頑張ってるんだって?雛子が色々聞かせてくれるよ・・・。本当は、お前の口から聞きたいけどな・・・」
「たくや、雛子に言ってくれないか?来てくれるのは嬉しいけど、母さんを独り占めにするのだけは止めてくれってさ・・・」
「たくや、就職おめでとう!俺達、二十四歳になったんだな・・・」
「母さん、最近横になってばかりで、ゴメンな・・。ちっとも相手をしてあげられない息子を許してくれるかな?雛子が、プロポーズされたと家に飛び込んで来て、母さんの胸で泣いたのは一週間前だったよね?母さん、まるで自分の事の様に喜んでいたね。ゴメン、俺は母さんに、嫁さんも可愛い孫も残していってあげられない・・・。母さんに寂しい思いをさせちゃうんだな、俺が・・。雛子、君が羨ましいよ。これからは、ずっとたくやと一緒にいられるんだろ?良いなぁ・・、俺は、俺はもう直ぐ君達ともお別れだ・・・」
「死にたくない・・・、死にたくないよ・・・」
「山崎、色々心配かけて悪かった。俺、お前が好きだった。大好きだったよ」
まさや、後生だから、見舞いに行く度に「悪いな、ありがとう」って言うのは止めてくれ・・・。図体のわりに俺が泣き虫なの、知ってるだろ?それを聞く度に、泣けるんだ・・。お前達三人に出会ったのは、十五の春だった。あれから随分経ったよな?最初は、たくやもお前も、俺にとっては違う世界の人間だと思った。たくやの意志の強そうな目も、お前の消え入りそうな美しさも、俺には無縁の奴らだと、そう感じた。でも、いつの間にか仲良くなって・・。でもさ、たくやと一緒にいる時は、絶対にお前がいない。お前と一緒にいる時はたくやが絶対にいない・・。それが不自然な事に思えたよ。どうしてって、お前の目は、いつもたくやを追ってたからな・・。もう少し待ってくれ!たくやをお前の元に連れてくるから、俺頑張るから!まさや、お願いだから、まだ逝かないでくれ・・・。
「母さん、俺を生んでくれてありがとう。本当に感謝しているよ。母さんを残して逝くのは、心残りだけど・・。許してくれるよね?苦労ばかりかけて、ゴメンね・・。たくや、たくや・・・、お前とこのまま別れるのは嫌だ、絶対に嫌だ。たくや、ちょっとで良いから、俺の所に来てくれないか?来て俺に、『大丈夫だよ、まさや。俺がついてるから怖く無いだろ?』って言ってくれないか?情けないよなぁ・・、あれだけ『この世に存在してくれているだけで良い』なんてカッコイイ事言ってたのに、いざとなるとこれだもんなぁ・・・。たくや、俺、男として最低だろ?笑っちゃうよな?」
「母さん、約束した事、頼んだよ!」
「まさや、もう良いよな?これ処分しても良いだろ?もう充分だ・・・」
俺は、「戦隊シリーズ」が表紙のまさやの日記を少しずつ破き、イット缶に入れライターで火をつけた。七歳のまさやが、八歳のまさやが、どんどん燃えていった。あいつを信じてやれなかった幼い俺、頑ななまでにあいつを避け続けていた俺、下らない自分本位な感情が、本来なら「最強コンビ」になっていただろう二人を永遠に引き裂いてしまったんだ・・・。何て事だ・・・。
「まさや、お前、本当は俺に看取られたかったよな?俺に手を握っていて欲しかったよな?そうだろう?」
実の所、最初のページの「見つけた」という言葉に俺は怯んだ。
「俺さ、二回も読んだんだぜ?雛子にこっ酷く叱られてな・・。一回目の時は、お前が変だって思ったのと、自分が無駄な時間を費やしたっていう自己嫌悪で終わったんだ。でもな、二回目に読み終えた時、俺の中に全く違う感情が湧いてた。お前の事をやっと理解した、って言うのかなぁ・・。お前に悪い事したっていうのは勿論だけど、お前にとって、俺がどれだけ必要な存在だったかって事と、俺達の間には只ならぬ何かがあったって事が分かったよ・・。今更だけどな・・。何て言うか、お前に対する愛おしさが沸々と湧いてきちゃってさ・・、笑っちゃうだろ? 本当に今更だけどさ、俺は自分の中のお前の存在を、消しちまおうと躍起になって努力したけど、努力して消し去ったと思っていたけど、実は消えてはいなかった・・。いつだってお前を意識していた・・。雛子が前に、お前が全身全霊で俺を欲してるって言ってたけど、俺も大差ないな・・・。どうしてお前を信じてやらなかったんだろう・・。あの時ちゃんとお前と話していれば、そうしたら、お前と同じ時を過ごせたろうし、お前の成長振りを見られただろうし、お前を看取ってやれただろうに・・。残念だ、無念だよ・・。まさや、無性にお前に会いたいよ・・」
日記の表紙は、戦隊シリーズから普通のノートに変わっていた。俺は寒さで手が震えて、上手く破けないのと、涙で霞んで良く見えないのとで、イラついていた。
「くそっ・・・」
それでも日記は、どんどん灰と化していった。途中、この方法が間違ってやしないかと、何度も躊躇したが、俺の思考能力は著しく低下し、只破いては燃やす、という作業を繰り返していた。涙は・・、止まる事を知らなかった。
「山崎は、葬式の日に俺を殴ろうとしていた。俺が、最期のお前の顔を見てやらなかったって、凄く怒っていた。山崎も雛子も、お前が好きで好きで・・。お前は、幸せ者だな?幸せ者で、罪な男だ・・・。だってそうだろ?お前が大好きなこの俺を、ここまで泣かせるなんてなぁ・・。死んでも尚、俺をこんなに苦しめるなんてなぁ・・」
もう殆ど焼き尽くした頃、煙の向こうに人の気配がして、俺はハッとなった。良く見ると、女性が二人立っていた。おばさんと雛子だった。立ち上がれずにいる俺の傍に、二人は走り寄った。
「大丈夫?」
「うん・・。おばさん、ご無沙汰しました」
「今野君、まさやに会いに着てくれたのね?」
「はい・・・」
「そう、良かった、ありがとう。それ、燃やしたのね?」
「はい、まさやが、あいつが良いって言ってくれたので・・・」
「そう・・、変な事聞くけど、まさや、今野君の所に来た事がある?」
「はい、日記を頂いた日から部屋の隅に・・。いつも微笑んで腰掛けてました」
「そう・・・」
「俺は、俺は、まさやにひどい奴でした。十歳の頃から、一日だってまさやの事を考えない日は、ありませんでした。あいつは俺にとって、それ程大きな存在だったんです。なのに、俺は・・、幼稚でバカで嫌な男です。今は、まさやにすまない気持ちでいっぱいです・・」
「そんなに自分を責めないで。あの子の最期は、とっても安らかだったのよ。今野君、あの子の最期の言葉、教えましょうか?」
「えっ?」
「たくやに宜しく・・・って」
俺は、男泣きに泣いた・・・。もう二度と立ち上がれない位に、体中の力が抜けていた。
それから、俺たち三人は食事に行き、俺は初めて、まさやの生い立ちと死に様を聞いた。まさやは先天的な「心臓疾患」を持っていて、寿命は十五・六歳までと宣告されていた。親父さんと同じ病気・・・。親父さんは、まさやの顔を見ることなく亡くなって、おばさんとまさやはおばさんの実家に身を寄せた。そう言えば、小学校の時に毎日の様に遊びに行っていたまさやの家には、おじいちゃんとおばあちゃんがいた。とても広い屋敷で、俺は庭のブランコが大好きで・・・、お手伝いさんがおやつを持って来てくれたっけ。
まさやの心臓は、体の成長と共に悪化するという特性を持っていた。二十歳を越えた頃から、あいつの心臓は悲鳴を上げ始め、徐々に弱っていったそうだ。そして・・、あいつは逝ってしまったのだ・・。
「あの子、充分に親孝行してくれたと思うわ。充分、私を楽しませてくれた。今は天国で、いつまでも若い父親と楽しんでいる筈ねぇ。悔しいわぁ!」
俺は、葬式の日のおばさんの、晴れやかな顔を思い出していた。この女性の圧倒的な強さが、羨ましかった。
「俺はあの日、最後なのに、何故まさやの顔を見てやらなかったのかと、後悔しています。いや、それよりも、あいつのあれだけの思いに何故答えてやらなかったのかと・・・」
後は、言葉にならなかった。フォークを持つ手が震え、カチャカチャと皿にぶつかる音だけが響き、背中を撫でるおばさんの手の温もりが、一層俺を悲しませた。
家に辿り着いてコートを脱いだ俺は、内ポケットにまさやの日記の一冊目が捻じ込まれている事に気が付いた。一冊目を焼くことが出来ず、無意識に内ポケットに入れてしまったのだろう。
「見つけた」
そう、この広い世界の中で、まさやが俺を見つけてくれた記だから・・。
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