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 先週の末に電車の窓から見た夕焼けを思い出す。その日は職場の納涼会があるビアガーデンに着いた途端に電話が鳴った。滅多にない母からの電話のコール音には、肌にこびりつくような粘つきがある。 「ハヤトがさあ、ぜんぜんごはん食べてくれへんねん」  一瞬、聞き間違えかと思い「え、なんて」と聞き返した。 「だからあ、ハヤトがさあ、ぜんぜんごはん食べてくれへんのよ。病気ちゃうかなあ」 「ごはんて……。ハヤトこないだ死んだやん」  さすがに心配になって、その日は納涼会を抜け出してすぐに実家に帰ることにした。電車から見た大和川の夕焼けは、もはや洋介の心を満たしてはくれなかった。  家は雨戸が閉められ、なかは真っ暗だった。電気をつけると母は寝室で静かに眠っている。懐中電灯を手に薄暗くなった裏庭に出ると、主が不在となって静まりかえった犬小屋の前に干からびた白飯の入ったエサ鉢があった。丸い光のなかに浮かび上がるエサ鉢は、歩き疲れた迷子のようにその場にうずくまっていた。  そんなことがあって間もなかったので、母が行方不明と聞いても、驚くよりは「やっぱり」というのが正直なところだった。いや、まだ行方不明と決まったわけではない。ただ鍵を閉め忘れて買い物に行っただけかも知れないではないか。きっとそうに違いない。  大和川を越えるとそこから羽衣駅までの間はタイムトンネルをくぐるような感覚がある。電車が進むにつれ体がぎゅうっと凝縮され、子供の大きさに戻っていく錯覚を覚えるのだ。この川は大人になった現在と子供時代との分水嶺なのかもしれない。  羽衣には洋介が子供の頃に母が働いていた法律事務所があった。幼稚園か小学校のときに一度だけ、仕事中の母を訪ねていって驚かれたことがあったような気がするが、記憶違いかも知れない。     
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