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 洋介は南向きの窓から差し込む日差しに頬が火照るのを感じながら、努めて楽観的な口調で橋口さんに言った。 「電話、ありがとうございます。どうにかするんで、とりあえず家のドア閉めといてもらえませんか」  ひとまず電話を切って、たいしたことではないと思える根拠を探そうとした。しかし一度不安を感じてしまうと、もう不安を煽る材料しか浮かんでこない。  直属の上司である課長には父の忌引き明けに、独居になった母の様子がおかしいというのを少し大袈裟に話してはいた。いざというときに職場を抜ける保険のつもりだったが、こんなにも早く保険を使うことになるとは思っていなかった。  実家は南海本線の羽衣駅から出ている支線の伽羅橋駅から海手に歩いて十分くらいの住宅地である。会社からは難波駅で急行に乗れば半時間ほどで着く。  課長に事情を説明し、処理中の書類を手早くまとめて鞄に突っ込んで部屋を出ると、足早にエレベーターに向かった。扉の上の階数表示が一つずつ灯っては消えるのが、今日に限ってずいぶんと遅く感じた。  駅に着くとICカードをかざして改札を通った。便利になったものだ。洋介が幼稚園に通っていた頃はまだ改札鋏のカチカチという音が響いていて、男の子たちのあこがれの象徴でもあったのだ。  発車のベルを聞きながら和歌山市行きの急行に駆け込むと、そのままドアの近くでつり革を持った。空いた座席が二つだけあったが座る気にはなれない。  こんなに明るい時間帯に実家に帰るのは何年ぶりだろう。窓の外には懐かしい景色や見覚えのない建物が早送り映像のように流れる。洋介は右から左へ、右から左へと何度も景色を追った。  住ノ江駅を過ぎるとまもなく大和川にさしかかる。子供の頃、日曜日になれば自転車でやって来て鯉釣りを楽しんだ思い出がある。水質はよくないが景色は綺麗だ。夕焼けのなか川面のきらめく風景を眺めると、魚が一匹も釣れなくても心が満たされたものだ。
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