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良い子だった。他の子よりやや身体は小さい、髪の毛が生えるのが遅く、毛が薄い、けれど頭の形が良い。
父親に似て鼻が低い。唇は母親に似て少し厚く小さい。目はくりっとしているが、おもしろいことをすると破顔一笑で、くしゃっと表情が崩れる。
小さく覗かせた歯並びがいじらしい。
よく笑うし、いつも機嫌がよく、学童保育の先生をはじめ、よく笑わせる子だった。
自然と涙が溢れた。この子の為なら悪魔にだって魂を売れると過ぎる。
だから今夜自分の運命を左右する何があっても、息子たちの生存だけは守ろうと誓って電気が途絶えた我が家を睨んだ。
キッチンでは、冷蔵庫が蹴られた空き缶のようにくの字を描き、足元では割れた皿やコップが散乱していた。
背後を見上げると、天井材が露呈し、星が輝く夜空が見えた。
ガチャッと皿が落ちる音が聞こえ、再び視線をキッチンにほうに戻す。しかし何者もいない。
直後、「ギャアアアア!」と聞いたことのない、けれど確かに、妻の悲鳴が聞こえた。
父親は包丁を拾って、風呂場に向かう。
すると、昆虫のような大きな生物が、脱衣所に立っていた。人間のために造られた間取りではドアが狭く、侵入に戸惑っているが、妻と娘に前肢を伸ばしている。
二足で立ち、辛うじて人型と言える。前肢には五本前後の指があるが、その指もタガメの肢のように一本一本が鎌状で、少なくても赤ん坊を抱きしめるようには出来ていなかった。
妻は娘を抱き、風呂場の奥のほうまで避難しているが、その肩には無数の×印が描かれ、傷付いていた。
外敵の姿を確認した瞬間、父親は「ふざけるな!」と怒鳴り、敵の背中に包丁を突き立てた。
ところがその背中は大量の油を塗りたくった中華鍋のようで、刃を通さないどころか、ツルツルと滑って、突きの力を分散させた。
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