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しづくは、この大きな屋敷の一室にいた。
今の彼女にとってその一室が、世界のすべてだった。
日当たりがいい十畳ほどの空間で、広々とした間取りが、彼女の親の愛を物語っている。
棚には無数の本が並んでいる。幼児用の絵本、昆虫、動植物、身体の部位といった図鑑、翻訳用の辞書や、海外のやはり絵本も多かった。
いずれも、彼女の年齢にしては、やや幼い内容だ。
ところどころ抜けている。
そこにあるはずのいくつかの本は、ページを床にして四散し、唯一の読み手であるしづくという少女が、再度手にとるのを待っている。
そして現在、彼女の目前には、ハロウが座っていた。
ハロウは、いつも焦ったような喋り方をした。会う時間は、マダムが決めるのが理由だ。
「しづく……そ、それ、マダムからもらった薬かい?」
と言って、ハロウはしづくが持つ錠剤を指差した。
「……いつも見ているじゃない」
と言って、しづくはその錠剤を口に入れ、コップの水とともに飲みこんだ。
疲れ切ったようで、彼女の返事は虚ろだった。
暗い顔を吹き飛ばそうと、ハロウは背中に隠したある物に手をかけ、声を張った。
「しづく、しづく! 俺さ、俺さ……ついにさ、あの〝糸〟で服を縫ったんだ!」
そう言って、その青海色の衣服を広げようとする。
「その名も……!」
しかし、サプライズを見せる前に、少女が青年に残念な告白をした。
「……ママが、もうハロウとハローするなって」
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