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「……うん。ありがとう」
「素直だね。珍しい」
電車遅延の情報は広まっているのか、道路は一般車両とバスやタクシーで溢れ、想定よりも受験会場に辿り着くまでには時間がかかるらしかった。その知らせに、彼女の表情が徐々に青ざめていく。
「大丈夫だから。その……俺が、居るから」
左隣で不安そうな夢野さんの手を握る。これまでは驚いたりした時以外では握り返してなどこなかった彼女が、この時だけは素直に僕の掌を握り返してきた。
健吾に心の中でありがとうと呟く。男らしく居れた事に、自分でも満足していた。
彼女は時より僕の顔を見つめ、心配そうに眉を下げていた。
その時、運転手が僅かに舌打ちをした。
どうやらあまりの混雑に苛立ちが募っているらしい。客を多く乗せるべきタクシードライバーにとってこの状況は不利益を被るのも理解できる。
しかし営業中は舌打ちなど慎むべきなのでは、と僕が一人怪訝な表情を作ると、車体が激しく揺れた。
「ちょ、ちょっと!!」
「すいませんお客さん、少し近道しますわ。……くそっ」
運転手は僕の声など聞かず、列の間から強引にハンドルを右に切り、アクセルを踏んだ。
入り込もうとした路地に、横断歩道があった。
そこに、一人の老婆が立っていた。
「待っ──────」
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