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阿部因子「百年」
ドロシーというのは彼が自分で自分につけた名だ。むかしの人々は皆がみんな、程度の差こそあれ男性か女性に偏った性を持っていて、個々の名前もそれに従い、男寄りの名前や女寄りの名前というのがあったそうだ。そしてドロシーというのは、女寄りの名前なのだと彼は私に教えてくれた。
「メルヘンっていうのは? 男の名前なの?」
「ちがうちがう、なんかこのごろは、別の性の名前を名乗るのが流行りなんだって」
英田(あいだ)メルヘンの死んだ日、そんな話が学校のそこかしこで聞かれた。私は、みんなと同じ喪章を胸につけ、それを指でいじっているドロシーのうつむき加減の顔ばかりをぼうっと見ていた。ドロシーは、以前は長めのシャツとして着ていた服にベルトを巻いて、ワンピースとして着ていた。かつて一七五センチの私と同じ身長だった彼は、女性に寄った影響から背が著しく縮んでしまっていた。
多くの不良な子供たちにとって偏性は奇抜なファッションであり、身体に悪い遊びであったけれど、ドロシーの場合はどうも勝手が違っていた。彼は子供の頃から頭がよかったのが、あるときを境に加速度的によくなり、よくなりすぎておかしくなってしまい、三回自殺未遂をやった。三回目のあと、学校をひと月休んだと思ったら、次に登校したときにはもうだいぶ女性になっていた。
少年のころとはまるで別人のような、顎も鼻もつんと尖った美しい顔立ちの中、子鹿のようなブラウンの瞳だけが元のままだった。てんでばらばらな個性を持つ子供たちの中で、私たちは身長も瞳の色も同じで、そのせいもあって仲良く一緒に育ったはずが、女性の彼と中性の私とでは、今やまるで別の生き物のようだった。それでも彼は他に寄る辺のなさそうな様子で、いつもそっと私の傍にいるのだった。
英田メルヘンが死んだ日、クラスじゅうほとんど、困った顔をしていた。別のクラスだし、男性だし、ちょっとこわい印象だった英田メルヘンのことを、どのように悼んだらよいものか、多くの青少年はわからないでいた。ただひとり、英田と仲良くしていた偏性者の子がはらはらと泣いていて、その世間の想定通りの反応を、ほんのすこし同情的に、ほんのすこし羨ましげにして、みんななんとなく、見ないふりをしていた。
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