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君のお気に入りのあの店に
君のお気に入りのあの店に、行こうと決めたのは、浅い眠りから覚めた、まだ夜の明け切らない頃だった。
忙しなく流れ続ける人波に逆らい脇道を行く。
古びたビルの一階、申し訳程度に出された看板だけが目印だ。
外の慌ただしさから取り残されたような店内には、僕以外の客はいない。
月ごとに変わる期間限定メニューがこの店の人気だったが、僕には常時十種類以上用意された珈琲メニューの方が魅了的だった。
珈琲だけではない。
季節によって変わることのない内装も。外の見えないすりガラスの窓も。カウンターの上の手書きのメニューボードも。
君は、僕の出会った誰よりも優しくて、賢くて、真面目で、努力家で、僕に甘かった。
君に会えるなら、人も物も精密機械のように規則的に動く、この町の一部になることも苦痛ではなかった。
「いつもありがとうございます」
この店に合う、落ち着いた声に顔を上げると、入れたてのコーヒーを差し出された。
店員が少ないのか、カウンターにはいつも1人しかいなかった。
砂糖を1つ、取って隣の席に置く。
人と話せない僕が、君となら何時間でも話していられたのは、君が人ではなかったからだろうか。
突然僕の前から姿を消した君のことを、今でも探し続けている。
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