第一章 時をさまよう風

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 その場所には昔から噂があった。  侍の幽霊が出る、と。  東北・福島県、会津地方猪苗代町に静かに、それでいて荘厳に鎮座する土津神社。  その歴史は古く、今から約三百年前に建立されたという。初代会津藩主である保科正之公の墓所がある神社としても有名だ。  今から約百五十年前、戊辰戦争の戦火に見舞われ一度消失しているが、その後明治に再建されたものが、現在の土津神社である。  そんな歴史ある場所で、昔から幽霊目撃の情報が後を絶たなかった。  塾帰りの中学生や、観光客からの目撃情報も多く、その噂のどれもが侍の姿をしているというものだった。もの好きな者は肝試しに繰り出したりする。  桐生(きりゅう)颯真(そうま)もその一人だった。  懐中電灯を片手に夜闇をぬうようにして境内を目指す。 「本当に出たらどうする?」  傍らを歩く友人で同級生、葉山(はやま)裕一(ゆういち)が冗談めかして言う。 「噂は噂だと思うけど」  颯真は平然と返した。  幽霊を信じていないわけではない。けれど自分たちがこの場所で遭遇する確率は低いだろう。  心霊番組を見ても、たまにぞっとするようなものもあるが、その他の多くは胡散臭く、合成だったり、やらせだったりするのが関の山だと思う。そう簡単に幽霊に出くわすなんてことはないと思った。  火のない所に煙は立たぬ、とも言うけれど。  裕一からの強引な誘いに断り切れず、半ば嫌々連れて来られたのだった。  夏休みに入ったばかりの、少し浮かれ気味の夜。風もない、重苦しく蒸し暑い外気を懐中電灯の光が裂く。 「もう帰りたいんだけど」  代表して懐中電灯を持っていた颯真がため息まじりに言う。 「おいおい、もしやびびっているな?」  裕一はにやにやしながら颯真の肩をぽんぽん叩く。  短い髪の色はやや茶色がかっており、四月の入学時からたびたび職員室に呼び出されているが、本人いわく、もともと色素が薄いのだそうだ。  特に気が合うというわけではない。  面白がる裕一の一方で、颯真はうんざりしているのだから。  偶然に席が近かったせいもありよく話すようになっただけだ。なぜか相手がこちらに懐いてしまっていた。――颯真は彼に会った当初から、髪の色も相まって柴犬のようだと思っている。
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