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「本郷さんとこも奥さんは妊娠してたよね?」
明子とほぼ同時期に出産予定だと聞いた。
「あら、どうしたの?」
倉石忠雄が露骨に嫌な顔をしたからだ。
赤ちゃんを取り違えられたもう片方の家庭でも久々に妊娠し、その亭主は不幸な事故で死亡……
あまりにもその境遇が似すぎてはいやしないか。
忠雄も僕も本郷と同様の運命を辿るのではと愕然としたのだ。
「明子……」
忠雄はいつ聞こうか、いや、聞きたくないと封印していた問いを妻に話す覚悟を決めた。
「明子、正直に教えて欲しい。僕はあと何ヵ月生きられるのか?」
「………」
明子がそう素直に話せるわけがない。
「頼むよ、僕は自分に残された時間も知らずに死んで行くのか?僕が何をした?僕だってまだやりたいことがある」
明子、頼む。
忠雄は明子の手を弱々しく握る。
「あなた……」
血管の浮き出た忠雄の手が病人そのものを表している。
「まだ特効薬を処方したばかりなのよ。これからもしかしたら劇的に効くかも知れないのよ」
癌はそう簡単に消滅してくれるはずはないけれども痛みが発生していないのはその高価な特効薬のおかげかも知れない。
「まだ希望は捨てないで」
明子は夫の額に軽く口づけした。
「しかし、いつ死ぬのかも本人だけが知らないということがあってもいいのか?」
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