いとしばなし

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『先ほどいらしたお客様からお預かりしました』と言われて咄嗟に反応できなかったのは、当然だと思う。声をかけるでもなく勝手に支払いをして恩を着せるでもない。手書きのメールアドレスが書かれたメモを残すという、随分とアナログなナンパのされ方は初めてだったのだ。  駈は同性に好意を持たれるタイプらしくよく声をかけられる。下心がある者もいれば、大学生の駈を可愛がりたい大人もいる。誰もが直接アピールをしてきて、お互い合わないと思ったら引く。  駆け引きめいたやり取りはスリルがあってなかなか刺激的で良いが、傷心の身だった駈には刺激が強すぎる。  だから、こうしてメモを託して静かに去ったという人物が気になってしまった。怪しいと思う気持ちよりも興味が勝り、帰宅した駈はメモに書かれたアドレスにメールを送った。  ――けど、この人なにをしたいのかわからないんだよな。  メモを残した相手は藤本兼続という名前で、会社の経営をしていると最初に教えられた。突然のことを詫びるところから始まり、気になっていたけれど声をかけられなかったこと。迷惑だとわかりながらメモを残したこと。送られてくるメールは絵文字のない素っ気ないものだったが、誠実そうな人柄が伺える文面だった。  メールのやり取りをしていくうちに、このまま親しくなってもいいかもしれない、と駈は思っていた。前の彼は駈より六つ上の二十六歳で、優しかったけれど気持ちも時間もすれ違ってばかりで長くは続かなかった。  懲りずに年上に惹かれ、メールで交流しただけの男に気を許す駈に友人は苦言を呈するが、駈は自分の判断を信じた。
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