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ふう、とため息をつかれても私にはどうしたらいいのかわからない。だって、なんで私より一回り年上の人に愚痴られなきゃいけないんだろう。
「音大出って言っても、私声楽のほうが専門でさ。ピアノったってソナチネも弾けないんだよねえ、笑っちゃうでしょ」
それでもまぐれで採用試験受かって、こんなとこまできちゃうってほんと人生って何が起こるかわかんないもんだ、ね、深見さん。
同意を求められても私に答える義務はないのだろうな。そんなことを知りながら、笑顔を返す。喋れないことの利点は、話したくないときに話さなくていいってことだ。私は渡された楽譜に目を落とし、頭の中のピアノで音を手繰る。
「……やっぱ、音楽バカよねえ」
見えない鍵盤を叩いている五指を見て、先生が笑う。それさえ気にならない。私は音楽が好きだ。たとえ、どんなことがあっても。それが、私の声を奪ったとしても。
指を失うくらいなら、死のう。
そんなことをよく考えていた。ピアノを弾き始めて、一年くらい経った頃だ。小学生だった私。夢を、見ていた私。
ピアニストになる。
それは私だけの夢ではなかった。志半ばで挫折した、両親の夢。
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