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幸いにして両親にはなかった才能というものが私にはあった。絶対音感。中学生にあがるころになるとたいていの楽譜は所見で弾くことができた。流行の音楽なんかは耳で聞くだけで楽譜に起こせたし、さらっとピアノで弾くこともできた。  小さなピアノコンクール。  それが、何かを変えた。  優勝して手に入ったお金が思いのほか大きかった。両親の目の色が変わった。私で稼げると思ったのか、両親は有名ピアニストに私の師事を頼み、私はピアノ漬けの毎日を送ることになった。  あの日々を、思い出したくない。  けれど、あの日々がなければ今の私がいないことも忘れてはいけない。  私はピアノを憎まない。  ピアノは素直だから。ピアノは私に答えてくれる。ピアノは私を理解してくれる。  私が憎むのは、あの人だけ。 「先輩」  彼女が私の前に現れたのは二年前。  あの人の葬儀だった。五年間師事していた偉大なピアニストの死に、誰もが悲しみ悼み焼香にかけつけた。私もその頃にはあの人の愛弟子として少しだけ名前を知られていたから、葬列に並ばなければならなかった。私は喜びをひた隠しながら、葬送曲を弾き続けていた。  悲しくはない。
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