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鼓動がどくどくと鳴っている。両手の平には冷たい汗が滲んでいるが、顔色には何も出していないつもりだった。
「あんたさ、俺が何も考えずにただじっと我慢していたと思ってんのかよ?」
甘いよ、とアオは笑ってみせた。
「あんたさ、奥さんと子どもがいるんだろ? あんたと結婚するような物好き、俺にはちっとも理解できないけど、女の子はまだ小さいんだってな? 大好きなパパがもし職場のオニイチャンに無理矢理性的な嫌がらせをしてたと知ったらどうするかな? あんた、この先一生大切な娘から嫌悪の目で見られることなんて堪えられる?」
工場長の顔色が赤くなり、次の瞬間すっと血の気が引いた。アオを見つめる工場長の目が据わる。
「このガキ。人が大人しく聞いていれば」
工場長はイスに仰け反ると、はっ、と鼻で笑った。その目はまるでアオを絞め殺してやろうかとでもいうかのように、ギラギラしている。
「どうせはったりなんだろ。証拠なんて何もないんだろ?」
ふてぶてしく開き直った表情は、アオの嘘を見抜いていた。
間に机を挟んで、一瞬も目を離さず互いに睨み合う。
ここで目をそらしたら自分の負けだ。
つ、とアオの背中に汗が伝い落ちた。アオはすっと呼吸を吸い込んだ。
「どうする? それに賭けてみるか?」
自分では気づいていなかったが、アオの口元に艶やかな笑みが浮かぶ。
さきに目をそらしたのはアオではなく、工場長のほうだった。男は忌々しげに唾を吐くと、事務所の奥にあった金庫を開け、そこから金を取り出した。札の枚数を碌に数えることなくアオに投げつける。
「これでいいだろ! さっさと出ていけ!」
アオは床に散らばった札を拾い上げると、一枚一枚その枚数を数えた。そのようすを男が睨みつけるようにじっと見ている。
男が投げつけた金は、必要な金額よりも十数枚多かった。
アオは内心、ほっと胸を撫で下ろしながら、多かった札を男のほうに向けた。
「これ多いんだけど、どうする? 返そうか? あ、いままでさんざん嫌がらせを受けたから帳消しなんだっけ?」
自分が首になったときに言われたセリフをそのまま返すと、男は「出ていけ!」と叫んだ。
「言われなくてもこんなとこ出ていくよ」
「二度とその顔を見せるな・・・・・・っ!」
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