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辰巳が車をホテルのエントランス前に着けると、ちょうどフレデリックと甲斐が並んで出てくるところだった。どうやら、時間はぴったりだったようである。
フレデリックは後部ドアを甲斐の為に開けてやると、自分は助手席に乗り込んできた。
「んで? どうするよ。適当に流すか?」
「そうだね。彼らが追いかけてくる前に出ようか」
辰巳は携帯電話を短く操作すると、フレデリックの脚の上に放り投げて車を出した。匡成の携帯に発信して、スピーカーに設定してある。
フレデリックの手の中で、呼び出し音が低く車内に響いた。やがてコールが切れて匡成の声が聞こえてくる。
『一意か、どうした』
「どうしたじゃねぇよクソ親父ッ。てめぇこのガキ狙われてんの知ってて預けやがったな?」
『おう、さすがだなぁ。お前らの嗅覚には感心するよ』
「きっちり説明しろよコラ」
『その坊やは企業グループんとこの御曹司でなぁ、攫おうって連中が今動いてる。訳あって警察には届けられねぇんだよ。坊やの親父と俺で相手を特定してる最中だ。お前らは、相手炙り出すまで遊んでろ。相手が分かれば後はこっちで始末する。それまで坊やのお守りを頼む』
あらましを説明する匡成に、辰巳が食って掛かる。
「そんなもん今日中にカタぁつく訳がねぇだろうがよ」
『ああ? 誰が今日中って言った? 暫くは本宅で面倒見ろ。俺は帰らねぇがな』
匡成の言葉を意訳すれば、囮になれということでもある。しかも数日。というより、相手が分かって話がつくまでという事だろう。
とんでもない事をあっさり言う匡成に、辰巳は舌打ちを響かせた。
「匡成。ひとつ聞いてもいいかい?」
『おう、何だ』
「万が一の場合は、警察に任せるという事でいいのかな?」
『フレッドよ、万が一なんて事がねぇように、俺はお前と一意に坊やを預けたんだ。意味は分かるな?』
匡成の言葉に、フレデリックが黙り込んだ。相手を泳がせた上で攫わせるな。攫われたとしても自分たちで解決しろと、そう匡成は言っている。
「おいクソ親父。話は分かった。とっとと相手炙り出せや」
『おー。精々、振り回してくれよ一意。デコイが動けば動く程、魚も動くってもんだ』
「やっぱそういう事じゃねぇかよクソが」
「匡成。茶髪の男が一人、そっちに行ってるのに気付いているかい?」
『ほう? そりゃあ初耳だ、今から探らせる』
初耳だと言う匡成の言葉が本当かどうかは分からないが、辰巳は後で写真を送るからそいつらの素性を調べろと言って通話を切った。
通話の内容は後部座席に座る甲斐にも聞こえている筈だったが、とうの本人は黙ったままだ。辰巳はバックミラー越しに甲斐の顔を見る。そこには、相変わらず無表情で何を考えているのか読めない少年の顔があった。
フレデリックに手渡された携帯電話を胸のポケットに仕舞いつつ、辰巳がゴキゴキと首を鳴らす。
「さぁて、どうしたもんか」
「何だか楽しそうだね、辰巳?」
「あぁん? 一か月も家の中に閉じ込められてたんだぜ? 少しくらい運動しねぇとな。躰が鈍って仕方がねぇ」
辰巳の様子に、フレデリックは呆れたように肩を竦めた。そのまま後ろの座席を振り返る。
「と、いう訳らしいけど。少し付き合ってもらえるかな?」
「付き合う? 巻き込んでいるのは俺の方だろう」
「うーん……、何ていうか、僕たちは別にキミに巻き込まれた訳じゃないからねぇ」
困ったように笑うフレデリックを、甲斐はただ黙って見つめていた。代わりに口を開いたのは辰巳だ。
「巻き込んだとか巻き込まれたとか、そんな事ぁどうでも構わねぇんだよ。面白けりゃなんでもいいだろ」
「まあ、辰巳はこういう人だから。むしろ付き合わされるのは、甲斐の方だと思うよ?」
「あぁん? それじゃまるで俺が甲斐を巻き込んでるみてぇじゃねぇかよ」
「違うのかい?」
「違いねぇ。……あん? いや違ぇだろ」
眉間に皴を寄せながら言い直して、辰巳はガシガシと頭を掻いた。
「あぁもうめんどくせぇな。誰のせいもクソもねぇんだよ。遊べりゃそれでいいだろぅが」
「ごもっとも。という事で、少し作戦会議をしようか」
「お前こそ楽しむ気じゃねぇかよフレッド」
「僕がいつゲームを嫌いだと言ったんだい?」
「ゲームねぇ……」
誘拐犯を相手に囮になる事をゲームだと言い切るフレデリックの言葉は、甲斐の不安を和らげるために敢えてそう言っているのか、本心なのか分からない。
辰巳は煙草を取り出して咥えると、火を点けようとしてふと手を止めた。
「おい甲斐。お前、煙草は平気か」
「平気じゃないと言ったら吸わないのであれば、平気じゃない」
「あぁん? 本当にお前は可愛くねぇな」
そう言って、辰巳は遠慮なく煙草に火を点した。
後部座席で甲斐がフン…と小さく鼻を鳴らすのが聞こえて、フレデリックはクスリと笑った。案外、この二人は相性がいいのかもしれない。
「たぶん、相手は僕たちが存在に気付いている事をまだ知らないと思う」
「まあ、気付かれたと知ったならコソコソ後つけては来ねぇだろうな」
チラリとバックミラーに視線を走らせる辰巳に、フレデリックも甲斐も尾行が付いている事を知る。
「だがホテルで俺たちが話していたのをあいつらは見てただろう。気付かれたと思っていてもおかしくはないと思うが?」
「それは心配ないよ甲斐。辰巳が携帯を見てる間、僕はキミに適当な画像を見せていただろう? 周りから見れば、ただ仲良く写真を見せ合って笑っているようにしか見えていないはずだから気にしなくていい」
「俺もフレッドも一切視線向けてねぇしな。あるとしたら甲斐だが、俺の躰で向こうからは殆ど死角になってるはずだ。どうせ写真撮られてる事にも気付いてねぇよ。安心しろ」
あっさりと辰巳とフレデリックが言うのを、甲斐は驚いたように見つめた。
「写真? そんなものいつ撮ったんだ」
ようやく話をしてくれる気になったらしい甲斐は、歳の割に胡乱げな表情を浮かべて辰巳を見た。
「顔を確認しているのは予想できたが、携帯はシャッター音が消せないはずだろう」
「ハハッ、指でスピーカー押さえてただけだがな」
「指……」
あまりにも単純な方法で音を消していた辰巳に、呆れたように甲斐は呟いた。
辰巳が携帯を出した時に、どうしてフレデリックまでもが携帯を自分に見せてきたのかも、この時初めて理由を知った。あの時からもうこの二人は、相手に気付かれないように振舞っていたのだと知らされる。
「まあでも、急に僕たちと一緒に行動し始めた以上、向こうも直こちらの事を調べるさ。まして辰巳は、同業者だろうからね」
「あんな明らかにってのと、一緒にされたくねぇな」
「ふふっ、そりゃあ辰巳の方が男前だよ。ねえ、甲斐?」
「そんな事を俺に聞くな」
ふいっと顔を逸らせた甲斐だったが、少しだけ考えるような素振りをして問いかけた。
「お前たちはいったい何者なんだ?」
どうやら少しだけ打ち解ける気になってくれたらしい少年に、辰巳とフレデリックはあっさりと答えた。
「ただのヤクザだよ」
「休暇中の船乗りだよ」
どうしてそんな二人が一緒にいるのかまでは、甲斐は聞いてこなかった。まあ、聞かれたところで十六歳の青少年に、男同士の辰巳とフレデリックが恋人だなどとは、口が裂けても言えない事だが。まあ、バレた時は仕方がないと、そう思う。
結局、甲斐を乗せたままドライブがてら走ってはみたが、ホテルで見た連中以外に尾行している相手はいないようだった。車を襲われることもなく辰巳の家に到着した三人は、夕食を食べて少し話をした後で甲斐を客間に案内した。
玄関に出迎えた若い衆たちに甲斐は少し驚いたようだが、気にした様子はない。何かあったら電話しろとそれぞれの携帯番号を登録しておいたくらいのものだ。
自室へと戻った辰巳とフレデリックは、若い衆に用意させた酒を飲んでいる。相変わらず隣に座るフレデリックに、辰巳が文句を言う事はなくなった。
「しかしまぁ、あの年で誘拐未遂に脅迫たぁな」
「匡成の話を聞く限り、お家騒動か何かかな?」
「ああ、御曹司だっつったか」
甲斐の態度は、年齢にそぐわないほど落ち着いている。それはきっと、周りの大人たちのせいなのだろうと辰巳は思った。
甲斐は、自分が周囲に何を求められているのかをきっと分かっている。そしてそれを演じてみせているのだろう。
「難儀だな」
「うん?」
「いや、何でもねぇよ」
ゴロリと畳の上に寝転がった辰巳は、当たり前のようにフレデリックの脚に頭を預ける。辰巳の、少し硬めの髪を、フレデリックの長い指が弄んだ。
「そう言えば辰巳、匡成から連絡はあったかい?」
「まだねぇな」
「辰巳の同業者だと思ったんだけどなぁ」
「しかしフレッドよ、お前いつ連中に気付いた?」
最初からだよ。と、そう言ってフレデリックは微笑んだ。
「正確には、甲斐と甲斐のお父さんが到着した時だけどね」
「はぁん?」
「僕たちが到着した時にはもうあの四人はいたけれど、その後で客が入っても目もくれなかった彼らが、甲斐には反応してたから」
「お前、よくそんな周り見てんな……」
フレデリックの観察眼は、かなりのものだと思う。視野が広いのだろう。
辰巳はどちらかと言えば受け身だ。何かあった際の対処には慣れていても、事が起こる前に先手を打つのは苦手だ。
「お前見てるとよ、敵わねぇなって思うわ」
「そんなに僕を褒めても、何も出ないよ? 辰巳」
「別にこれ以上何も要らねぇよ」
フレデリックが背を丸めて辰巳の額にキスを落とす。付き合い始めてからこちら、こういう小さな触れ合いが二人の間には急激に増えた。といっても、ただ辰巳が止めなくなったというだけの事だけれど。
「腰は、大丈夫かい?」
「そういう聞かれ方をすると、色々突っ込みたくなるんだがよ」
「うん? どうして?」
きょとんとした顔で聞いてくるフレデリックに、辰巳は思わず額に手を遣った。
稀に、辰巳はこうして墓穴を掘る。年寄り扱いされてるように聞こえるとか、傷の具合を聞かれてるのかとか、または情事の後の負担を聞かれているのかとか、色々と思い浮かべてしまうのが辰巳の悪い癖である。
それを話せば、案の定フレデリックはクスクスと笑った。
「本当に辰巳は可愛いね」
「うるせぇよ」
「傷は、大丈夫かい? って、聞いたらよかったのかな。日本語は難しいね」
フレデリックが笑いながらそんな事を言っていると、辰巳の携帯が着信を告げた。
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