ヤクザは嗤って愛を囁く。

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『おう、一意。お前の送ってきた写真の連中だがな、ありゃ岬のモンだ』 「あぁん? 岬だ? 何だよ余計にめんどくせぇな」  そこまで話したところで、辰巳は通話をスピーカーに切り替えた。フレデリックも一緒に話せた方が説明が省ける。 『名前まで必要か?』 「あー……メモんのめんどくせぇからメールで送ってくれや」 『横着な野郎だな』 「で? 岬ったって上じゃねぇんだろ。誰んとこの若い衆だよ」 『ハハッ、喜べ……』 「あー、もういいわ。わかったから言うんじゃねぇよ」  匡成の言葉を嫌そうに遮って、辰巳はまた寝転がる。匡成の口振りからして十中八九相手は龍一だ。どうにもこうにも腐れ縁があるらしい。 「匡成。聞いておきたい事があるんだけど」 『おう、フレッドか。何だ?』 「これは、お家騒動なのかい? 誘拐で済む話なのかそうじゃないのかが、僕は知りたい」 『大元の話はそんなもんだが、あの坊やの家は規模がでかいからよ。正直、何が出てくるのかは俺にも想像がつかねぇな』 「じゃあ、その企業の名前だけでも聞かせてもらえるかな」  いずれ知れる事だと言って、匡成はあっさりと甲斐の家の名を出した。  思わず、ふたりして黙り込む。  日本人ではないフレデリックでさえも、その名前は知っていた。正直なところ、傘下の企業が多すぎて、そこから相手を割り出すことは不可能なほど大規模な企業グループ。  甲斐は正真正銘の御曹司という訳だ。 「なるほど。匡成が想像もつかないって言う理由がわかったよ、ありがとう」 『まあ、言わなくても分かるだろうが、警察沙汰になる前にカタをつけたい。警察に話が行った時点でマスコミが動くからな。そうなりゃ大騒ぎだろうよ』 「そうだね」  フレデリックは考え込むようにして黙った。 『同業以上の連中が出てきた場合、俺らは手を引く。相手が割れなくても、だ。現状動いてるのが岬の連中だってんなら、直に片がつくだろうよ。一意が電話でもすりゃあ、向こうから食い付いてくんだろ』 「人使い荒すぎなんだよクソ親父ッ」 『ハハッ、その分小遣いは弾んでやるよ』  そう言い残して、匡成は通話を切ってしまった。   ◇   ◆   ◇  翌朝。フレデリックは辰巳よりも早く布団を抜け出した。調べておきたい事があったのだ。ノートパソコンを拝借したフレデリックは、かれこれ一時間以上画面を覗き込んでいる。  少し喉が渇いたと、廊下へと続く襖をフレデリックが開けると、ちょうど若い衆が甲斐を連れてこちらに来るところだった。 「おはよう甲斐。昨夜は眠れたかい?」 「ああ」 「それなら良かった」 「アイツは?」  アイツと甲斐が言うのは、辰巳の事だろうと分かる。まだ寝ている旨を告げて、フレデリックは甲斐を伴って居間へと移動した。 「おはようございます、フレデリックさんッ」 「ああ、うん。おはよう……フレッドでいいよ?」 「いえ、そういう訳にはっ」  かれこれ一か月以上繰り返されている遣り取り。だが、これでもマシになった方なのである。何故なら、以前彼らはフレデリックの事を”姐さん”と呼んだのだから……。  辰巳が若なら、その連れ合いは姐さん。  まあ、間違ってはいない。間違ってはいないのだろうが、フレデリックは男なのである。  最初にそれを聞いた時、フレデリックは思わず卒倒しそうになった。だというのに、その横で辰巳は爆笑していたのである。  毎回挨拶をされる度に思い出してしまうのが、このところのフレデリックの悩みだ。 「辰巳はまだ寝てるからいいけど、甲斐に朝食を用意してもらってもいいかな。僕は、後で辰巳と食べる」 「はい。すぐ用意しますッ」  他人をこうして使うという事に、フレデリックは未だ慣れてはいない。だが、慣れていないからとフレデリックが動くと、彼ら若い衆が怒られるのである。  ヤクザというのは、よくわからない世界だ。それとも、辰巳の家だけがなのだろうか。  フレデリックは台所へと消えていく若い衆を見送って、視線を甲斐に移す。話している間ずっと自分を見上げていた甲斐に、フレデリックは気付いていた。 「どうかしたのかい?」 「お前は、船乗りだと昨日言っていなかったか?」 「そうだよ。今は、訳あって長期休暇中だけどね」  取り敢えず座ろうかと、甲斐に座席を示す。  ほとんどがの部屋が和室で占められるこの家にあって、ダイニングだけはテーブルと椅子がある。フレデリックは甲斐向へと腰を下ろした。 「ヤクザでもないのにヤクザを使うのか?」 「ああ、うーん……、それは、僕が辰巳と一緒にいるからとしか言えないんだけどね」 「では、どうしてヤクザなんかと一緒に居るんだ」  どうやら妙な興味を引いてしまったらしい。無反応なのも困るが、こうして質問攻めにされるのも、困ったものである。 「どうして、か。辰巳が、僕の大切な人だから、かな」 「大切な人? 友人ではなく?」 「まあ、甲斐にもそういう人が出来たら、分かるんじゃないかな。月並みな言い方かもしれないけれど」  そう言って、フレデリックは朗らかに笑った。  ちょうど頼んでいた朝食が運ばれて、フレデリックは甲斐が食べ終わるまで新聞を読んだ。日本語のずらりと並ぶ新聞は、案外嫌いじゃない。  朝食を終えた甲斐を伴ってフレデリックが部屋へ戻ると、ちょうど辰巳も起きたところだったようだ。  そして、襖を開けた瞬間に事故は起きた。  フレデリックが辰巳の部屋の襖を開けるのと、辰巳が奥座敷の襖を開けるのが、同時だったのである。もちろん、寝る時の辰巳は素っ裸だ。その上、そのまま風呂場まで行くのも平気だ。奥座敷から出てくるのに服など着ている筈はなかった。 「あ?」  反射的に、フレデリックが隣に立つ甲斐の目の前に手をかざす。 「辰巳、服」 「あぁん? 男同士で隠す必要もねぇだろ」 「甲斐はまだ未成年だよ」 「はぁん? あんだよめんどくせぇな」  ガシガシと頭を掻きながら奥座敷へと辰巳が戻ったのを確認して、フレデリックは恐る恐る視線を下げた。 「見た? ……よね」 「まあ、見えたな」 「あははっ。なんか、ごめんね?」 「どうしてお前が謝る?」 「なんとなく、かな……」  甲斐の様子からしてあまり気にしてはいなさそうだが、それはそれで問題なのではないかと思ってしまう。  戻ってきた辰巳は、ただ下着を穿いただけの姿だった。フレデリックは溜め息をひとつ零すと、辰巳のシャツを取りに奥座敷へと入る。一瞬、浴衣の方がいいかとも思ったが、シャツでいいやと妥協してしまう辺りフレデリックもあまり人の事を言えた義理ではない。 「せめてシャツくらい羽織ろうか」  そう言ってフレデリックは辰巳の肩にシャツを掛けると、置きっぱなしにしていたPCの前に戻った。まあ、戻ると言っても辰巳が座る座椅子のすぐ真横がフレデリックの定位置なのだが。  並んで座る二人を、立ったままの甲斐が見下ろしていた。 「ああ、ごめんね甲斐。適当に座ってくれていいよ?」 「飯は」 「僕はまだだよ。甲斐には、先に用意してもらった」  辰巳が廊下に声をかけると、すぐさま返事が聞こえてくる。 「飯。二人分部屋に持って来い」 「只今お持ちします」  聞き慣れた遣り取りを気にする事もなく、再び調べものに戻るフレデリックの横で辰巳が煙草に火を点ける。  そんな二人の様子を、甲斐はどこか面白そうに見ていた。 「夫婦……」  ぽつりと、甲斐が呟いた。 「ああ?」 「いや、お前たちはなんだか夫婦のように見える」 「はぁん? まあ、そうだろうな」  それがどうしたとでも言うような辰巳の態度に、甲斐はフレデリックへと視線を向けた。 「なるほど。お前が言っていた意味がわかった」 「そう。なら良かった」  フレデリックがパソコンの画面から視線を上げて甲斐に微笑むと、その隣で辰巳は怪訝な顔をしていた。 「夫婦だの意味がわかっただの、何の話だよそりゃ」 「何でもないよ。辰巳には、内緒の話」  フレデリックはそう言って朗らかに微笑んだ。  昼前に、辰巳の携帯に匡成から電話が入った。  だいたいの目星がついたという報告に、こちらから接触してはどうかというフレデリックの提案に匡成はあっさりと乗った。  甲斐についての一件は、フレデリックが中心に匡成と話をしていて、辰巳はそれを面白そうに眺めているだけでよかった。  さして時間をおかず、準備が整ったとの連絡が入る。匡成だけでなく、どうやら甲斐の父親も相当手際がいい事が知れた。 「それじゃ、後は辰巳に任せるよ」 「龍一に電話すんのは構わねぇけどよ、何を話しゃいいんだよ?」 「そうだなぁ、先ずは龍一がこの件に関わっているかどうかを知りたいね」 「関わってんじゃねぇのか? 勝手に舎弟使われて黙ってるタイプじゃねぇよ」 「まあまあ、聞いてみようじゃないか」  可笑しそうに笑うフレデリックに、辰巳はひとつ肩を竦めて携帯を取り上げた。気負う様子もなくボタンを押す。  辰巳の番号は携帯を買換えた時に新しく取得したもので、まだ龍一も知らないだろう。  なかなか繋がる気配がないものをしつこく鳴らし続けていると、やがて訝るような龍一の声が聞こえてきた。 『誰だ……』 「よう龍一、出るのが遅ぇんだよ。その後右腕の調子はどうだ」 『テメェ、一意ッ』 「ハハッ、番号変わったんで教えておいてやろうと思ってよ。優しいだろ?」 『ふざけんなテメェ、死にぞこないが何の用だ』  龍一の言葉に、辰巳はおやと首を傾げる。てっきり甲斐が辰巳の元に居る事など調べられていると思っていただけに、拍子抜けだ。 「惚けんなよ龍一、お前んトコの若ぇのが付け狙ってるガキの話だよ」 『ああ!? 知らねぇな』  ふむ。と、辰巳はフレデリックを見た。フレデリックの予想は、どうやら的中したようである。  何か書くものを寄越せと身振りで伝えて、辰巳は束の間黙り込んだ。龍一の口振りは、本当に何も知らないような気がする。 「おいおい、てめぇんトコの若いモンが何してんのかも知らねぇたぁ、龍一様も落ちたもんだなぁ」  辰巳が言えば、フレデリックが状況を把握してさらさらとペンを走らせる。日本語を話せるだけでなく、筆記もできるという事に感心している余裕はなかった。 『ウチの若いのが何だってんだ。はっきり言いやがれ』 「あぁん? それが人に頼む態度か龍一クンよぉ」  低められた龍一の声に、辰巳は適当に返事をしてフレデリックの手元を見た。そこには『情報が伝われば問題ない』という文字と共に、『リュウイチなら、事実を知れば振り回してくれるんじゃないかな?』と書かれている。  ――予定通り、巻き込みついでに踊ってもらうか。  フレデリックの言う通り龍一がこの件に絡んでいないのだとすれば、踊らせるのは簡単だった。 「おい龍一。てめぇんトコに郷田って若ぇのがいんだろう」 『……それがどうした』 「そいつに伝えろや。お前らが狙ってるガキは、辰巳の本宅から一歩も出さねえってな」 『テメェ、いったい何をやってやがる』 「お前んトコの若ぇのが、辰巳に喧嘩吹っかけてんだよ」  それまでの嘲笑うような声とは一変、辰巳は声を低めた。 「なあ龍一、てめぇが知らねぇってんなら、他にそんな馬鹿な真似出来んのはそう多くねぇだろう?」  そう言って、辰巳は龍一の返事を待つことなく通話を切った。
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