ヤクザは嗤って愛を囁く。

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 テーブルの上に携帯を投げ出して、躰を横たえた辰巳はいつものようにフレデリックの脚に頭を乗せる。  その様子を甲斐は、意外そうな顔で眺めていた。 「辰巳? 僕は今調べものをしてるんだけどな」 「あん? すりゃあいいだろうが」 「肘、当たっても知らないからね」 「分かってんなら当てんじゃねぇよ」  そんな遣り取りを自然と交わす辰巳とフレデリックを、甲斐は交互に見た。まあ、見たと言っても辰巳に関して言えばテーブルの死角で顔までは見えなかったけれど。  やがて健やかな寝息が聞こえて、甲斐は辰巳が寝てしまった事を知る。 「意外だな」 「うん?」 「ヤクザというのは、もっと粗暴なものだと思っていた」 「人によるんじゃないかな。けど、辰巳はとても素直だよ?」  膝の上で寝息を立てる辰巳の顔を見下ろして、フレデリックが笑う。 「口は悪いけれど、彼は真っ直ぐだからね」 「そのようだ」  納得したように目を細め、甲斐は小さく頷いた。  ノートパソコンを閉じたその指で、フレデリックが辰巳の髪を撫でる。 「いつかキミも、辰巳がどんな男かを知る日が来るよ」 「楽しみにしておこう」 「そうだね。けど、僕はキミがこれからどんな男に育っていくのかも興味がある。もし僕好みの良い男に育ったなら、その時は口説かせてもらおうかな」 「その男のように、か?」 「それは、随分とハードルが高いと思うけどなぁ」  そう言ってフレデリックが笑っていると、辰巳の携帯がテーブルの上で鳴動した。その音に、辰巳が目を覚ます。 「ああ?」  不機嫌そうに起き上がる辰巳にフレデリックは携帯を取ってやると、廊下に出たところで甲斐を振り返った。こいこいと手招く。  気にした様子もなく辰巳は携帯を開いた。 『おう、一意か』 「どうなった」 『割れたよ。よくやった』  匡成はそれだけを告げた。  相手が誰であったかなどの話は一切ない。だが、辰巳にとってはそれで良かったし、気になる事でもない。 『坊やの迎えが(じき)そっちに着く。俺も一旦戻るが、それまでは頼んだぞ』  どうやら、これで甲斐の件は一件落着という事らしい。思ったよりも運動する機会がなくて、辰巳としては正直物足りない。フレデリックにも伝えようと辰巳が立ち上がると、ちょうど襖が開いて二人が戻ってくるところだった。 「おう、どうやら終いになったらしい」 「そう。それは何よりだね」  定位置に座り直した辰巳に、フレデリックと甲斐も元いた場所に腰を下ろす。辰巳は甲斐に迎えが来ることを告げて、煙草に火を点けた。  程なくして、匡成と甲斐の迎えの車が到着した。俄かに庭が騒がしくなる。甲斐を迎えに来た車に、甲斐の父親の姿はなかった。運転手が丁寧に頭を下げて、車に乗り込んだ。  甲斐を乗せた車が門を出ると、匡成もすぐにどこかへ出かけてしまった。どうやら見届けに来ただけのようだ。 「やっと静かになったな」 「ふふっ、本当は物足りないんでしょ、辰巳」 「あぁん?」  くだらない遣り取りを交わしながら、フレデリックと共に部屋へと戻る。長引くかと思われた一件が思ったよりも早く片付いてしまい、辰巳としては拍子抜けするくらいだが、それで良かったとも思う。  いくら大人びた態度をしていても、甲斐は十六歳だ。いつまでも面倒事に巻き込まれていたのでは可哀相だ。 「でも、安心したって顔に書いてあるよ辰巳?」 「うるせぇよ」 「本当に辰巳は優しいね」  そう言って唇を寄せるフレデリックを、辰巳が拒む事はなかった。相変わらず表情は、苦々しかったけれど。  甲斐を見送ってからさほどの時間をおかず、フレデリックの携帯電話が着信を告げた。珍しい事もあるものだと目を眇める辰巳の前で、フレデリックは電話を耳にあてた。 「はい。……そう。わかったよ。……ありがとう」  穏やかな口調で交わされる会話は、日本語だった。 「そうだね。助かるよ。……うん。よろしく」  フレデリックが携帯を閉じるのとほぼ同時に、今度は辰巳の携帯電話が鳴動した。思わずフレデリックの顔を見る。  妙な、胸騒ぎがした。  発信者を確認すれば、つい三十分ほど前に別れたばかりの匡成からである。二、三、言葉を交わした辰巳の語気が不意に強まった。 「あぁん!? どういう事だ。ケリ着いてんだろぅが!!」  辰巳はそれ以上言葉を発することなく、鋭い舌打ちを響かせて携帯を閉じた。通話の切れた携帯電話を握ったまま辰巳が立ち上がるのを、フレデリックは驚いた様子もなく見上げた。 「匡成かい?」 「ああ。甲斐が攫われたとよ」 「そう」 「随分落ち着いてんじゃねぇか」  至極冷静なフレデリックを、辰巳が見下ろす。その視線は酷く冷めたものだった。 「フレッド、今の電話誰だ」 「知人、かな」 「言いたくはねぇんだが、タイミングが良すぎやしねぇか?」  座ったままのフレデリックの前に辰巳は膝をつくと、顎を指先で持ち上げる。  フレデリックは、視線を逸らすことなく辰巳を見つめた。ブルーの瞳には、何の感情も浮かんではいない。 「辰巳は、僕を疑ってるのかい?」 「疑うなって方が無理な話だと思わねぇか。なぁ?」  ふぅと小さく息を吐いたフレデリックが不意に辰巳の首を引き寄せる。ピクリとも動かない程強く肩口に顔を埋めさせられた辰巳の耳元に、フレデリックの低い声が響いた。 「あまり僕に、嫉妬をさせない方がいい。僕はね、辰巳、キミが僕以外の何かを守ろうとするのは一向に構わない。だけど、その為にキミが僕を疑うのは……許せないよ」 「ッ……」 「もう一度聞こうか、辰巳。キミは僕を、疑ってるのかい?」  脅迫めいたフレデリックの声に、辰巳の全身が粟立つ。一度離れようと躰に力を入れればクスクスと笑われるだけで、フレデリックの腕は全く動かなかった。 「逃がさないよ。答えない限り、ずっとこのままだ」 「……脅しかよ」 「違うよ。僕は、キミの答えが聞きたいだけだ」 「だったら、疑ってるって言えば離してくれんのか?」 「それが、キミの答えかい?」  ああ。と、辰巳は低く答えた。  フレデリックの腕が、ゆるりと下がる。  ようやく自由を取り戻した辰巳は、無言で部屋を出て行った。広い和室にひとり取り残されたフレデリックが、小さく嗤う。    ◇   ◇   ◇  甲斐を乗せていた車の成れの果てを見て、辰巳は言葉を失った。ノーズがベシャリと潰れ、フロントガラスだけでなくサイドやリアウィンドウにまで突き刺さった銃弾が生々しい。  運転手は、一命を取り留めて現在病院で治療中との事だった。意識を失う直前に、電話をしてきたという。  襲撃を受けたのは甲斐の家のすぐ目の前で、すぐさま車は敷地内に運び込まれたらしい。  人通りもなく目撃者もいないというから、相手も計算しての事だろうと匡成が言っていた。  割れた窓から後部座席を覗き込んでみたが、そこに血痕などはない。それだけが唯一の救いだろうか。車がこんな状態である以上、甲斐が無傷だとは思えないが、少なくとも車の中に血溜まりを作るほどの怪我は負っていない。  潰れた車の前に立ち尽くしたまま、辰巳は煙草に火を点けた。吐き出した紫煙が、夕闇に消えていく。  微かな音がして辰巳が振り返ると、匡成がこちらへ向かってくるところだった。辰巳のすぐ横に立って、息子を見上げる。 「どう思う」 「岬の仕業じゃねぇだろ」 「だろうな」  何が出てくるか分からないと、匡成が言った言葉を思い出す。隣に立って煙草をふかす父親を辰巳は見る事もなく呟いた。 「手ぇ引くつもりか親父」 「引く気ならこんな場所にいねぇだろうが」 「それ聞いて安心したわ」 「ああ?」  訝し気に見上げてくる父親へと、ようやく辰巳は視線を向けた。 「年取って気弱になられたんじゃ、つまんねぇからよ」 「今すぐ泣かしてやろうか?」 「後で、な」  そう言って、辰巳は車へと戻った。  運転席の若い衆に自宅へ戻るように告げて、辰巳は後部座席で考え込んだ。  ――しかしまぁ、どうしたもんかね。探しようもねぇな。  甲斐の居場所に関する手がかりは、まったくと言っていい程なかった。監視カメラに映った車は盗難車で、乗り捨てられていたのを既に匡成が見つけている。  ただのヤクザが指紋から相手を割り出すなど不可能であったし、もとよりそんなものは残っていないだろうという思いもある。組の連中を一応走らせてはいるが、相手が同業者とは思えない以上、期待は薄いだろう。  ガシガシと頭を掻く辰巳の脳裏に、ふとフレデリックの事が頭を過ぎる。  ――アイツなら、こんな時に何か上手い事動きそうなもんだがな。  夕方の出来事を思い出す。  まったくと言っていいほどフレデリックの電話は鳴る事がない。ほとんどが辰巳との遣り取りで、一緒に居る時に鳴る事など数えるほどしかなかった。  それが、あのタイミングで鳴る意味は、何なのだろうか。  ”わかった” ”ありがとう” ”助かる” ”よろしく”。電話の相手にフレデリックが言っていた言葉を思い出してみても、辰巳には何も分からない。分からないけれど、間違いを犯してしまったという漠然とした思いがある。 『辰巳は、僕を疑ってるのかい?』  フレデリックの言葉が、脳裏を過ぎる。 『あまり僕に、嫉妬をさせない方がいい。僕はね、辰巳、キミが僕以外の何かを守ろうとするのは一向に構わない。だけど、その為にキミが僕を疑うのは……許せないよ』  ――俺は、何を見失ってた? どうしてアイツの言葉をちゃんと聞いてやらなかった? フレッドは最初から全部言ってたじゃねぇか…。  何かが、辰巳の頭の中で音をたてる。  ――悪いのは、俺だ。  と、その時。辰巳の携帯が短く鳴った。携帯電話を開くと、メールが届いていた。差出人はフレデリックだ。 「ッ……」  思わず、息が詰まる。  本文に記された文字は、短いものだった。 『時計』  たった二つの文字に、辰巳の視線は釘付けにされた。  謝らなければ――……。  車が停車するのを待たず、辰巳は後部座席から飛び降りた。 「若っ!?」 「そのまま待機してろ、すぐに出る」  勢い良く玄関を開け放ち、声を張る。 「フレッドはいるか!」 「若が出た後、お出掛けになりました」  予想していたとはいえ、若い衆の言葉に舌打ちが漏れる。  何事かと聞いてくる若い衆を無視して、辰巳は自室に直行した。テーブルの上に放置されたノートパソコンを引っ掴んで、すぐさま車へと引き返す。 「取り敢えず出せ」  パソコンの起動時間がとてつもなく長く感じる。やがて画面が明るくなって、辰巳はGPSを表示する地図を開いた。  赤い点が、地図の上で点滅を繰り返す。動いている様子がないところを見ると、時計が捨てられてさえいなければ甲斐かフレデリックがそこにいる。あるいは、両方か。
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