ヤクザは嗤って愛を囁く。

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  ◇   ◇   ◇  数時間後。どうやら大きな騒ぎにならず無事隼人も戻り、甲斐を見送った辰巳とフレデリックは、散歩がてら中華街で夕食を食べた。  目にも賑やかな通りを二人でゆっくり歩きながら、つい食べ過ぎてしまったと辰巳が腹をさすっていれば、後ろから人がぶつかってきて思わずよろける。 「おあ?」 「辰巳、スリ」 「あぁ?」  言うが早いか走り出したフレデリックを追いながら胸元に手を遣ると、確かに財布がない。  まさか日本を出る前日にまでトラブルに巻き込まれるなど思ってもいなかった。が、財布をそのまま持って行かれる訳にはいかなかった。中に、大事なものが入っている。  辰巳の財布を奪うなど、正直言ってスリの方が気の毒な話である。案の定、あっという間に小柄な男はフレデリックにその襟首を掴まれた。  片手で持ち上げられ、バタバタと足をばたつかせる男の方がむしろ痛々しい。 「ッ放せ!!」 「人の物を盗むのは犯罪だよ? お兄さん」  言いながら、フレデリックはひと気のない路地へとそのまま入り込んだ。 「オイオイ、釣り上げてやるなよ。可哀相じゃねぇか」  すぐさま追いついた辰巳は男の目の前に回り込んでその顔を覗き込むと、無言で手を差し出した。さすがに勝ち目もないと悟ったのか、男の手が辰巳の手に財布を差し出す。 「食い過ぎたっつーのに走らせんじゃねぇよこのタコ」  そう言って辰巳は男の頭を引っ叩くと、財布の中身を確認する。どうやら中身を抜く余裕すらなくフレデリックに捕まったようだ。  無くなっているものがない事を確認して、相変わらず足をバタつかせる男に辰巳がにやりと嗤ってみせる。 「さて。どうされたい?」 「こうすんだよッ!」  覗き込んでいた辰巳の顔を目がけて、男が腕を振り上げる。その手には、バタフライナイフが握られていた。  あっさりと躱しながらその手を掴んで、辰巳が挑発的に嗤う。 「はぁん。危ねぇなあ、こんなモン持ち出すなよ。逃がしてやれなくなんだろぅが」 「テメェ……」 「相手を選んでお仕事するんだったね、お兄さん。よりにもよってこの人の財布をスった上に斬りつけるなんて、僕が許さないよ?」  クスクスとフレデリックは声を上げて笑うと、そのまま後ろから男の首に空いた手を回して徐々に力を入れていく。 「このまま、絞め殺されたいかい?」 「ッ……やれるもんならやってみろよ……」 「強がりはやめといた方がいいぜ? 本当に、そいつは遣りかねねぇからよ」  辰巳が言う間にも、フレデリックの手が男の首を締め上げていく。さすがに本気で殺そうなどとは思っていないが、案外ギリギリまで楽しむつもりのフレデリックに容赦はなかった。  というより、辰巳の財布の中に入っている大事なものは、フレデリックにとっても大事で、誰にも見せたくない。知らずとはいえど、それを盗んだ罪は重い。 「命乞いをするなら、声が出るうちにした方がいい」 「カハ…ッ、……ッッ」 「ああ、もう遅いかな? ごめんね、早く言ってあげなくて」  楽しそうに笑いながら首を絞められる恐怖は、どんなものだろうか。ふと辰巳は考えて少しだけゾッとする。 「そうだなぁ……その手のナイフを放したら、少しだけ時間をあげようか」  男の耳元に、フレデリックが低く囁く。その間も、フレデリックの手は徐々に首を締め上げていた。  安っぽい音を立ててナイフが地面に落ちる。それを辰巳の足が無造作に蹴り飛ばした。 「いい子だね。ご褒美に少しだけ時間をあげよう」 「ッ助け……て」 「助けて欲しいって。どうする?」 「二度としねぇってんなら、いいんじゃねぇか?」  言いながら、辰巳は苦笑を漏らす。ヤクザなどという家業の自分がスリ相手に二度とするななど、滑稽にも程がある。  フレデリックの顔にもまた、同じような笑みが浮かんでいて、ふたりは思わず笑い声をあげた。  どさりと、男の躰が地面に落ちる。両手をついて空気を貪る男の前に、辰巳がしゃがみ込んだ。 「ヤクザの財布スるなんざ、いい度胸してんなぁオイ」 「ヤク……ザ…?」 「ああ」  さっと、男の顔から血の気が引いていく。その顔を、立ち上がった辰巳は躊躇いなく蹴り飛ばした。  派手な音をたててゴミの山に転がる男を見ることもなく辰巳が踵を返す。その姿に困ったように微笑んで、フレデリックは辰巳の後を追った。  路地から出て並んで歩くふたりは、既に何事もなかったかのような顔をしていた。 「辰巳に蹴られたら痛いだろうなぁ……可哀相に…」 「ああ? 俺の大事なもん盗んであれで済ましてやったんだ、感謝されてぇもんだなぁ」 「ごもっとも」  それから、船へと戻った二人はいつものように隣り合って座り酒を飲んだ。  辰巳が大事にしているものが財布に入っているのは、フレデリックも知っていた。というより、正確には最近知ったのだが。  一度辰巳の手でくしゃくしゃに握り潰されたそれは、もう随分と長い事財布の中に入れられてしっかり大事に皴を伸ばされている、一枚のカード。  辰巳がカードを引っ張り出したあの日。ほんの僅かな間だけそうしていようと思って目を閉じたはずが、うっかりそのまま寝こけて起こしに来たフレデリックに発見されてしまったのだ。 「あれを辰巳が十一年も持ってるとは思ってもみなかったけどね」 「悪ぃかよ」 「まさか。嬉しいに決まってるじゃないか。おでこに乗せて寝てるんだもんなぁ……どれだけキミは可愛いんだい」  嬉しそうに言いながら腰に纏わりつくフレデリックを、辰巳は諦めたように見下ろす。見つかってしまったものは、今更どうしようもない。かといって、捨てる気にもなれるはずがなかった。 「はぁー……もう勘弁してくれよフレッド。あん時の事は忘れろ」  困ったようにガシガシと頭を掻く辰巳を見上げてフレデリックはにこりと微笑むと、上体を起こして口付ける。 「Je t'aime, Tatsumi」  さらりと、フレデリックの口から発せられたフランス語を、辰巳は瞬時に理解することが出来なかった。数秒の後に、ようやく何を言われたのかを理解して赤面する。 「フレッド……本当に…勘弁してくれ…」  額に手を遣って項垂れる辰巳は、だがどこか嬉しそうだった。 END
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