ヤクザは嗤って愛を囁く。

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 すぐさま辰巳の前に現れたのは、派手な身なりの女だった。  美月楓(みつきかえで)。彼女は、医師免許を持つ正真正銘の女医だ。  とはいえど、美月が相手にしているのは辰巳の家のような、真っ当な診察を受けることの出来ない者ばかりだ。匡成の愛人だという噂もあるが、果たして嘘か真か。  若い衆に持たせた鞄から注射器を取り出すと、美月は躊躇いなく辰巳の腕に針を突き刺した。いつもながら荒々しい。  辰巳が礼を言うと、にこりと微笑んで美月は出て行ってしまった。  いくら鎮痛剤を打ったとて、即効性はなく痛みは変わらない。それでも辰巳は立ち上がった。腰の傷から熱と痛みが全身に広がる。  着替えを若い衆に任せて、辰巳は匡成から状況を聞き出すことにした。 「んで? フレッドは今どこにいる」 「俺の(やさ)」 「あぁん? 何だってそんなところに押し込めた」 「一番、安全だからだよ」  匡成が安全だと言うのなら安全なのだろうが、どうしてそんな場所にフレデリックを避難させる羽目になったのかが分からない。不機嫌さを隠そうともせず辰巳が聞けば、匡成は苦い笑みを浮かべた。 「お前、あの金髪の坊やの素性を知ってるか?」 「はぁん? そんなもん知らねぇよ。船乗りだろ」 「それだけじゃないから、困った事になってるんだがな……」  匡成の言葉に、辰巳が振り返る。 「どういう事だ」 「妙な噂を持ち込んだ奴がいる。金髪の坊やが、フランスの大所帯と繋がりがあるとな」 「フランスの大所帯……って、嘘だろう?」 「さぁな」 「さぁなって、その為にフレッド足留めしてたんじゃねぇだろうな」 「その通りだよ。お前には、噂の真偽を確かめてもらう」 「冗談だろ?」  あくまでも噂の域を出ないと匡成は言うが、もしそれが本当だった場合はとんでもない話だ。そんな噂が流れたのだとしたら、騒ぎも起きるはずである。  以前、辰巳は何の気なしにフレデリックにフランスのマフィアかと尋ねたことがあるが、それが冗談では済まなくなるという事だ。  辰巳は大きく息を吐き出した。  確かに、フレデリックには得体の知れない部分があった。倉庫で発砲した時、岬と、それから辰巳に向けられたフレデリックの目が脳裏に過ぎる。  ――無感情で、酷く冷めた目ぇしてやがったな。そのくせ、色気はあんだよなぁ。  一言では言い表せない。楽しそうでもあるし、感心しているようでもあるし、馬鹿にしているようでもある。そんな目を、あの時フレデリックはしていた。 「そんで? それを俺に聞き出させてどうしようってんだよ親父」 「どうもこうも、本当の事など俺らに知れるはずがない。ただの確認だよ。火を消すためのな」  確認。匡成の言葉に、辰巳は鋭い舌打ちを響かせた。もとよりその為に匡成がフレデリックを足止めしたことは間違いない。  ――本当に、めんどくせぇな。  ともあれ、フレデリックに会って話がしたい。 「表に(あし)回せ。それと、一意に携帯渡してやれ」 「はッ! 只今お持ちします」 「一意、お前の携帯は金髪の坊やに持たせたままだ。あとは好きにしろ」  玄関の前に横付けされた車に辰巳は乗り込んだ。が、何故か匡成までもが続いて辰巳は胡乱げな視線を向けた。 「何で親父まで来んだよ」 「ああ? 散歩だ散歩。話は二人だけでさせてやっから安心しろ」  あっさりと言いいながら、後尾座席の奥へと押し込まれた辰巳は思い切り眉間に皴を寄せた。  出がけに渡された携帯電話を取り出すと、辰巳は迷うことなく自分の番号へと発信した。数コールの後にプツッと小さな音が聞こえたが、相手は黙ったままだ。  構うことなく、辰巳が口を開く。 「俺だ」  ただ一言。それだけで良かった。相手がフレデリックであるなら、声でわかるはずだ。 『辰巳……?』 「連絡すんのが遅くなって悪ぃな。随分と寝てたみてぇでよ」 『傷は大丈夫なのかい?』 「ああ、たいした事はない」  聞きなれた低音が、耳に心地良い。 『そう。それなら良かった』 「これからそっちへ行く。もう少し待ってろ」 『わかった』  電話を切ると、辰巳はどさりと疲れたようにシートに凭れた。 「大丈夫か?」 「あぁん? 怠いには怠いがな」 「お前、早死にするタイプだな」 「縁起でもねぇこと言ってんじゃねぇよクソ親父」  思い切り顔を顰めて吐き捨てる辰巳に、匡成が声をあげて笑う。その笑い声がふと途切れて、匡成は思い出したように口を開いた。 「そういや一意。お前、ネコなの?」 「はあっ!? ッ痛って……、ざけんなクソ親父ッ。てめぇは息子に何てこと聞きやがんだよッ」 「あの金髪の坊や、お前より良い躰してるもんなぁ」 「テメェ、それ以上言ったらぶん殴るぞ」 「ハハッ、傷抉られたきゃあやってみろ」  笑ってはいるが、この男ならやりかねない。そう、辰巳は思う。  さすがに実の息子にそこまではしないだろうなどという甘い考えが匡成に通用しない事を、辰巳は身をもって知っている。  思わず黙る息子に、匡成はくつくつと喉の奥で嗤った。そして、こう言ったのである。 「まあ、息子が増えるってのはいい事だ。なあ、一意」  被害者が増えるの間違いだろうと辰巳は思ったが、口には出さずにおいた。体調が万全でない今、匡成が相手では本気で命を失いかねない。  渡されたカードキーで部屋のドアを開け、大股で廊下を進む。ようやく効き始めた鎮痛剤に、とりあえず通常の動きであれば問題なく動けるようにはなっていた。  ドアの開く音にこちらを見たフレデリックと辰巳の視線が絡み合う。 「辰巳」 「悪かったな、こんな所に押し込んでよ。仕事は大丈夫なのか?」 「大丈夫だよ。連絡は入れてあるからね」  次に船が寄港した時に、乗務に戻ると言う事で話はついているらしい。思わぬ長期休暇だと言ってフレデリックは笑うが、それだけ仕事を空ける事が今後にどう響くのかは、想像に難くない。  辰巳はフレデリックの隣に腰を下ろすと、煙草に火を点けた。咥え煙草でソファに凭れ掛かると、天井に向かって紫煙を勢いよく吐き出した。 「お前を、失くしたくねえ」 「辰巳?」 「お前が龍一に攫われた時、失くしたくねぇなって、そう思った」  衒いもなく真っ直ぐに告げられる言葉が、飾り気も何もなくて辰巳らしい。 「僕はね、辰巳。キミが刺された時に、初めてこの躰を呪ったよ。僕が居なければ、辰巳が刺される事はなかった」 「そうでもねぇんじゃねぇの? 俺は、お前で良かったと思ってるよ。お陰で命拾いしたからな。もう少し到着が遅れてたら、この世にいねえってさ」  辰巳のような大きな躰を抱きかかえられる人物など、フレデリック以外にはそういない。と、そう言って辰巳は笑った。 「俺なぁ、お前に抱えられてる時すげぇ安心しててよ。正直そのまま死んでもいいって思ってたんだわ」 「馬鹿な事は言うものじゃないよ」 「親父にも同じ事言われたな。でも、俺はお前を失くすくらいなら、自分が死んだ方がマシだ。フレッド」  相変わらず天井を見上げたままの辰巳を、フレデリックが驚いたように見つめていた。 「お前は男で、俺が守らなくても大丈夫だってのは、分かってんだけどよ」 「そうだね」 「けど、俺はお前を守りてぇよ」 「ふふっ、辰巳。それ、凄い殺し文句だよ?」 「当たり前だろ、口説いてんだからよ」  辰巳の言葉に、フレデリックがクスクスと声をあげて笑う。 「本当にキミって男は、どうしてそう僕を夢中にさせるのが上手いのかな」 「どうしてそう、お前って奴は正直なんだろうな」 「じゃあ、そんな正直な僕からお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」 「あん?」 「キスがしたい、辰巳」  言いながら、フレデリックは辰巳の口から煙草を奪い取るとその唇に口付けた。  二人で吐息を貪り合うのは初めてだった。舌を絡ませて、時折噛みつきがなら二人で笑う。  長い脚の上に頭を乗せてごろりと寝転がった辰巳は、何かを忘れている事に気付いた。フレデリックの顔を真下から見上げて、あっと声を上げる。 「あー……そういやフレッド」 「うん?」 「お前、何でここに押し込められてんのか理由知ってるか?」  辰巳の問いかけに、フレデリックはあっさりと首を横に振った。 「僕はただ、マサナリって人にここに居れば辰巳が迎えに来るって言われただけだよ。携帯は持ってていいから、それで必要な連絡はすればいいって」 「はぁー……、あんのクソ親父」  最初から、丸投げするつもりだったとしか思えない。 「それが、どうかしたのかい?」 「あー……まあ、お前に聞かなきゃならねぇ事があってよ」 「何かな」 「俺、お前に一度フランスのマフィアか何かかって言った事あったよな」  それだけで、辰巳が何を言いたいのかを把握したのだろう。辰巳を見下ろして、フレデリックが微笑んだ。  その笑みが、きっとすべてなのだろうと思う。けれど、そのまま流す訳にはいかなかった。 「辰巳が聞きたい事は分かったよ。それに答えるとするなら、僕は組織の人間じゃない」 「繋がりは?」 「まあ、なくはないね。船のカジノが絡んでる。それ以上は言えない」  フレデリックの答えに、辰巳はガシガシと頭を掻いた。噂は本当だったという訳だ。  正直なところ、繋がり云々というよりもっと近しいところにフレデリックがいたとしても辰巳は驚かないだろう。だが、もしそうだったとしても、フレデリックが本当の事を打ち明けるはずがなかった。  俗にマフィアと呼ばれる海外の組織と日本のヤクザでは、決定的に違っている点がある。  向こうは組織といっても、非公然の組織だ。日本のヤクザのように、公然と看板を掲げた組織があるわけではない。徹底的な秘密主義。  ましてフランスとあっては、本人が名乗る事は絶対に有り得ないだろう。 「それで、辰巳は僕にそんな事を聞いてどうするつもりだい?」 「別に。どうもしねぇ……ってか、どうにもならねぇだろ」 「離れる事はできるよ」  酷く冷めた目が、辰巳を見下ろしていた。息が、詰まる。  ――まぁた、おっかねぇ顔するもんだなぁ。  ゾクリと、辰巳の背筋を痺れが走る。  辰巳はフレデリックの首に腕を回して引き寄せると、耳元に低く囁いた。 「おいフレッド。怪我人煽ってくれんじゃねぇよ。抱きたくなんだろうが」 「ッ……辰巳」 「お前のその目は、色気あり過ぎんだよ」  そう言って嗤う辰巳を、フレデリックは小さく息を吐いて抱き締めた。 「だからよ、煽んなっつってんだろうが。襲うぞてめぇ」 「怪我人は、大人しくしておくものだよ辰巳?」 「あぁ? 煽るだけ煽って大人しくしてろってなぁ、どういう了見だ?」 「こういう了見…かな」  そう呟いて、フレデリックは辰巳のベルトに指を掛けるとあっという間に抜き去った。煽り倒された辰巳が我慢できはずもない。  えてして辰巳は再び腰を赤く染める事となった。  予想通り傷を悪化させた馬鹿息子と、それを支えるように立つ金髪の新しい息子を、散歩帰りの匡成は拾った。
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