ヤクザは嗤って愛を囁く。

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 軽く顎をしゃくる匡成の意図を理解して、フレデリックは辰巳の肩を揺すった。その遣り取りはまるで本当の親子のようにも見える。 「辰巳、辰巳っ」 「あー……?」 「起きて辰巳」  ぼんやりと目を開けた辰巳は、まだ匡成の存在に気付いていなかった。寝惚けたままフレデリックの頭を引き寄せ、唇を重ねる。 「っ、辰巳っ、そうじゃな……マサ…っふ」  間近にある碧い瞳が横に滑る。視線を追って、辰巳はようやく匡成の存在に気付いた。 「ああ? 親父?」 「親の目の前で朝っぱらからイチャつくとはいい度胸だな、一意」  キスシーンもさることながら、明らかに情事の跡が色濃く残る部屋と目の前の二人を見下ろして、匡成は盛大な溜め息を吐いた。 「お前ら羞恥心ってもんはねえのか?」  匡成が言うのは尤もで、フレデリックは辛うじて下着を穿いてはいたが、上半身裸。辰巳に至っては全裸のままだった。辰巳はそれで仰向けに寝ているのだから手に負えない。  ちらりと後ろに視線を走らせれば、テーブルの上は散々な状態のまま放置されているのだ。いくら匡成といえど、溜め息くらい吐きたくなると言うものだった。  布団の上に胡坐をかいた辰巳がガシガシと頭を掻いて欠伸を噛み殺す。 「羞恥心ねぇ。同じ男で恥ずかしいもクソもあんのかよ?」 「そういう問題じゃねえよクソガキ。本当に救いようがねぇなお前」 「はぁん? 親に似たんじゃねぇか?」  悪びれもしない息子に、思わず匡成は額に手をやって天井を見上げる。どうにも育て方を間違えたと、今更思ったところで遅かった。 「つか説教しに来たのかよ親父」  辰巳の言葉に、匡成が思い出したように顔から手を下ろした。 「ああ、そうだった。ちょっとお前らにガキのお守を頼みたくてな」 「ガキのお守だ?」 「ああそうだ。今日、昼飯をそいつの親父と食う予定になってる。俺らは少し話があっからよ、ガキ同士遊んでてくれや」  突拍子もない匡成の話に、辰巳とフレデリックは顔を見合わせた。 「僕も行けばいいのかい?」 「ああ。一意ひとりじゃ、手に負えねぇだろうからな」 「手に負えねぇ? ……って、どんなガキだよそりゃ」 「会えばわかるさ。小遣いはくれてやる。昼前に出るから支度をしておけ」  年齢は十六だという。相手の子供について、それ以上の説明を匡成は一切しなかった。相当荒れてでもいるのだろうか。  部屋を出る直前で、匡成がふと振り返る。 「それとお前ら、部屋汚すのは構わねぇが少しは自重しろ。声、丸聞こえだぞ」 「あぁあぁそりゃ悪かったな。テメェの声も丸聞こえだったって事だろうがよ」 「ハハッ。俺は、女喘がしても手前は喘がねぇよ」  そう言って匡成はひらひらと手を振りながら出て行ってしまった。 「このクソ親父ッ」  辰巳が吐き捨てれば廊下から匡成の笑い声が聞こえて、さすがに自重した方がいいかもしれないとフレデリックは思ったのだった。  日本家屋には、プライバシーなどというものは存在しない。と、フレデリックは学んだ。  ――辰巳の可愛い声は、あまり人に聞かせたくないなぁ…。  そんなフレデリックの思いには、当然気付く筈もなく辰巳が振り返る。 「十六……って中坊か?」 「日本だと高校生じゃないかな」 「ひと回りも年違っててガキ同士遊んでろって何だよ……」 「さあ?」  辰巳とフレデリックは再び顔を見合わせる。だがしかし、そんな時間は長く続かなかった。どうせ会えば分かる事を、今考えても仕方がない。  匡成が依頼した昼まで時間はあったが、取り敢えず風呂に入るかと二人で風呂場へと向かっていった。  十六歳。というにはあまりにも落ち着いた容姿と、尊大な態度を備えた少年は、その名を須藤甲斐(すどうかい)といった。  会食の後に匡成と甲斐の父親が席を外すと、テーブルには重い沈黙が下りた。そもそも匡成と甲斐の父親が話していただけで、辰巳とフレデリック、それに甲斐は名乗った以外に言葉を発していないという体たらくだ。気まずいどころの話ではない。 「…………」 「…………」 「あー……、まあ何だ、取り敢えず俺らも出ねぇか?」 「そうだね。いつまでも居座る訳にもいかないし。甲斐君は、どこか行きたい場所はあるかい?」 「別に行きたい場所などない」  甲斐の言葉に、辰巳とフレデリックは思わず顔を見合わせた。行きたい場所がないと、その答えに驚いた訳では、もちろんない。”口調”の方に驚いたのだ。 「あのよ、甲斐っつったか? お前いつもそんな喋り方してんのか?」 「何か問題があるか?」 「いや、大ありだろ」  思わず突っ込んだ辰巳を見る甲斐の目は、無表情というより不信感を浮かべている。いや、むしろ嘲りか…。  そんな二人を見やって、フレデリックは苦笑を漏らした。  匡成が朝、言っていた言葉を思い出す。”手に負えない”子供だと匡成は言った。その意味を、辰巳もフレデリックもようやく理解したのだ。 「もう少し年相応の話方ってのがあんだろ」 「いや、辰巳がそれを言うのは……ねえ?」 「あぁん?」 「それ。年相応かい?」  フレデリックが言えば、辰巳は何も言い返すことが出来なかった。一応辰巳にも自覚はある。是正する気はさらさらないが。  苦笑するフレデリックの横で、甲斐がフンと鼻を鳴らす。即座に辰巳の頬がピクリと引き攣ったのを、フレデリックの視線はしっかりと捉えていた。  いくら気の短い辰巳でも、三十路手前の大人が十六歳の少年相手にキレるなど大人げないという思いはある。思いはあるのだが――。  ――このクソガキが。  内心で思った辰巳だが、まあそれはしっかりと表情に現れていたのである。  フレデリックが軽く辰巳の袖を引いた。 「辰巳辰巳…」 「ああ?」 「顔に『このクソガキが』って、書いてあるよ?」  そう言ってフレデリックが朗らかに笑う。自分をダシにして甲斐に『クソガキ』と伝えているのだと、辰巳には分かった。 「お前なぁ……」 「辰巳はすぐ顔に出るから気を付けないと。ねえ、甲斐君?」 「その男がどうであろうと俺には関係ないな」 「関係ないか。ふふっ、本当にキミは子供だねぇ」  クスクスと笑うフレデリックを甲斐が睨む。子供と言われるのが不本意なのだろう。が、甲斐を見つめていた辰巳は目を眇めた。今まで無表情だった甲斐が、”睨んで”いたからだ。 「ああ、なるほど。キミは子供扱いされるのが嫌いという訳だね?」 「おいおいフレッド、あんまりガキを揶揄ってやんなよ。可哀相だろうが」 「そうだね。冗談はここまでにしておこうか」  そう言って、フレデリックはテーブルに身を乗り出した。目配せをされた辰巳が同じようにテーブルに肘をつく。フレデリックは、甲斐も誘うように人差し指人差し指を動かした。  渋々ながら顔を近付ける甲斐にフレデリックは微笑んで、低い声で囁いた。 「入り口付近のテーブルにいる三人組の男が見えるかい? 甲斐」 「見える」 「見覚えは?」 「ない」  フレデリックの言葉に、辰巳は黙って携帯電話を開いた。入り口は辰巳の背中側にあって、振り返らないと見る事ができない。辰巳は携帯のカメラを起動させると、インカメラに切り替えた。  角度を調節すると、確かに男が三人映り込んだ。角刈りとハゲとデブ。特徴と顔を確認しつつ、スピーカーの部分を指で押さえて数回シャッターを切る。インカメラで撮影した画像は荒いが、それはもう仕方がない。  目の前で同じように携帯を出して甲斐に何やら見せて笑っているフレデリックに、辰巳が問いかける。 「アレがどうかしたのか」 「最初は四人いた。もう一人は若い茶髪の男で、匡成たちの後を追っていったよ。それと、さっき甲斐がレストルームに立った時に、あそこの太った男が後から入っていかなかったかい?」 「何人かいた気がするが、あいつらかどうかは覚えていない」  柔らかな笑みを浮かべているものの、フレデリックの口調は至極真面目なもので、冗談を言っているようには聞こえない。現に辰巳も妙な視線を感じてはいた。相手を特定する事までは出来ていなかったけれど。  どうやら匡成が”手に負えない”と言った理由は、もうひとつあったらしい。 「匡成に連絡は取れるかい? 何か知ってるかもしれない」 「あのクソ親父、面倒事押し付けやがって……」  言いながら辰巳が携帯を操作しようとするのを、やんわりとフレデリックの手が止めた。 「ここでは拙いよ辰巳」 「あ?」  穏やかな色を浮かべる碧い瞳を見つめ、辰巳は携帯を胸元へと仕舞い込んだ。確かに、わざわざこちらが気づいたという事を連中に知らせてやる必要もない。  その隣でフレデリックが甲斐に問いかける。 「たぶん彼らが狙っているのはキミだよ、甲斐。何か、お父さんから聞いていない?」 「父が関係あるかどうかはわからないが、誘拐未遂と脅迫状なら何度かあるな」  誘拐だの脅迫だのと物騒な事をさらりと言ってのける甲斐に、辰巳とフレデリックは苦笑を漏らすしかない。だが、そういうキナ臭い話を聞いたところで動じるような二人でもなかった。  フレデリックが心得たとばかりに頷いてみせる。 「なるほど。取り敢えず、ここを出ようか」  立ち上がる辰巳を、フレデリックは椅子の上から見上げた。 「辰巳、悪いけれどエントランスに車を回してもらえるかい? 僕は、甲斐と一緒に出るから」 「ああ、じゃあ適当に時間見計らって出て来いよ」 「ありがとう」  微笑むフレデリックに辰巳は内心で呆れていた。この男は、トラブルに慣れ過ぎている。  車は地下駐車場に停めてある。もし甲斐が狙われているのだとしたら、地下駐車場など襲うには格好の場所だろう。  ――まったく、面白ぇ男だよ。  地下へと降りるエレベーターの中で、辰巳はキーケースを弄んだ。辰巳は、フレデリックの素性を全くと言っていいほど知らなかった。船乗りだというが、働いているところを見た訳でもない。  挙句、フランスのマフィアか何かかも知れないと噂が流れても、正直どうでもいいと思った。辰巳にとってフレデリックが何者であるかは、正直関係がない。  ただ、どうして惹かれるのかが分からなかった。  思えば会ったばかりのその日にフレデリックを飲みに誘った事自体、不思議なくらいだ。それまでの辰巳は一緒に酒を飲もうと誰かを誘った事など一度もない。  フレデリックの何に、どこに、そんなに惹かれたのだろうか。考えたところで答えは出ないのだけれど。  言うなれば”野生の勘”というのが一番正しいかもしれない。  惹かれた理由は分からなくとも、フレデリックは想像以上に辰巳を虜にしてくれる。色々な意味で。  それだけは確かで、それだけで辰巳には十分だった。
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