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西新宿――JR新宿駅から徒歩5分のところに『BAR カサブランカ』はあった。
駅近で立地のよい店だが平日の0時過ぎともなればすでに客もまばらで、店を一人で切り盛りする初老のマスターは、客の酒を作る傍らで、要領よく閉店の準備に取り掛かっている。
静かに流れるジャズの曲が店内にゆったりとした空気を作り、一人客たちは音楽に身を委ねて酒を楽しんでいた。
そわそわと落ち着かない、ただ一人を除いて。
(晶……大丈夫かな……)
他人のフリをしてオレンジジュースを飲みながら、陽翔はサングラスを少し下げて斜め前のカウンター席の様子を窺った。
「アキちゃんほんま可愛いわぁ~。も、飲んで! どんどん飲んで! お兄さんが奢るから! あ~もう、アキちゃんみたいに可愛い子が彼女やったら、俺、服でもバッグでもいくらでも買うてまうわぁ~。お兄さん、こう見えて結構金持ちなんやで」
カウンター席では関西弁の若い男が調子のよいことを捲し立てて少女を口説いている。
口説かれている少女は、少し困ったように微笑んでいて、だがそれは正体を知る陽翔が見ても、口説かれ慣れていない清楚なお嬢様のようにしか見えなかった。
「なぁ、アキちゃんは、親が厳しくて夜の遊びとか全然知らんのやろ? ほんなら俺が詳しゅう案内したるわ。な、決まり! それぐいっーと一気に飲んで、ほしたら俺と一緒に出よ。な、心配せんでも危ないことに遭うたら俺が守ったるから!」
男が少女の肩に手をかけて引き寄せ、少女の華奢な手を握り締めた。
そんなのどう考えたって若い男が世間知らずなお嬢様を毒牙にかけようとしているに決まっている。
だが少女は戸惑いながらもコクリと小さく頷いた。
「やったー! まじで? ちょっ、マスターお勘定! アキちゃんの気ぃ変わらんうちに早よして! アキちゃんもそれ飲ん……」
勢い込んで起ち上がった男が、不意に顔を覆ってよろけた。
「あ……れ? 嘘やん……急に酒、回っ……」
それすら言い終わらぬうちに男はその場に崩れ落ちる。
男の体に当たったのか、グラスも一緒に落ちて激しい音と共に砕け散った。
少女は突然の出来事に驚きながらも、男を介抱しようと跪く。
ガラスの破片にまみれた男の体に手をかけ、男を抱き起こそうとした。
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