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相変わらず、言葉少なく、多くを語らない。一方、私はすっかり、この歌を引用したことを忘れていた。きっと、彼女も百人一首にあるものだから、憶えていたのだろう。そうして、彼女との会話で、ある種の矛盾を感じる羽目となった。それは、自身の内省における一人称が、「私」であるのにもかかわらず、彼女に対しては、何故か「僕」を使っていたことだ。
「宗教の時間を瞑想の時間だったて、随分、うまいこと言うなって」
彼女は、応えるものでもなく、はにかんだ笑みを浮かべるままだった。これはオフ会での話だ。彼女の大学は、親鸞聖人の教えを建学の精神としていた。だから、聖人の教えを学ぶ講義もあったとのことだった。ただ、大学で受講していた彼女に、悪人正機説を語るのは、おこがましくあった。と言いつつ、ワーグナーの「パルジファル」と悪人正機説の両者には、反知性主義があると語ったまでだが。だが、こんな具合に哲学的なことを述べてしまうのは、彼女との距離を保とうしのことで、いわば緩衝材の役目を負っていたのだ。
こうしつつも、連想は尽きない。あのときと同じだった。そう、私の横で、はにかんだ笑みを浮かべる。初めて会ったときと。私と彼女は、facebookでの、同じクラシック音楽を愛好するグループのメンバーだった。転勤に伴い、大阪に越したものだから、関西のメンバーが、歓迎をこめてオフ会を催してくれた。せっかくだから。いや、彼女に会いたくて、誘ったのだ。そういった事情があると知らずに。にもかかわらず、彼女は来てくれた。だが、そうともなれば、理由も知りたくもなった。
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