なんば、関西空港、そして終着駅。

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彼女は、白斑だった。だから、外出は控えていた。だが、その事情とは裏腹に、オフ会では、私を認めるなりしれっとした照れ笑いを見せた。その屈託の無さ故に、残像が印象深くあった。ただ、想いは及んいた。何らかの逡巡があったのではという。 当初は、赴任期間が、3ないし5年だと言われたもので、大阪のアマチュアのオーケストラに入った。そうして、彼女も誘った。やはりというべきか、さすがだ。コンサートミストレスに就いた。大学の音楽部のオーケストラでもそうだったと。ただ、白斑だったため、プロの演奏家としての活動は諦めたようだった。 週末は、だいたいは家族の元に帰っていた。その都度、彼女は、南海電鉄の「なんば」まで見送りに来てくれた。そうして、改札機のところで別れるのが、何時ものことだった。だが、今日は、違った。関西空港まで一緒にと願った。しかも感傷めいたものを作為的に醸し出して。だが、彼女は、受容した。だからこうやってラピートβに乗っている。
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