同期と部下に狙われました。

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 すっかり忘れていた。そういえば高槻は昼間人の出払ったオフィスで、俺に『好きなんです』と、確かにそう言っていたのではなかったか。  思わず、顔が熱くなるのを止められない。告白してきたのが男だとか女だとか、そういう問題じゃない。他人から好意を向けられることに、俺はあまり免疫がないのだ。正直言って恥ずかしい。 「なるほど。昼間会社でコイツに告白したのはお前か高槻」 「あれ? 聞こえてました? 誰もいないと思ってたんだけどな…」 「別に聞いてはいない。ただコイツが分かりやすいだけだ」  言いながら浅丘に頭をポンポンと叩かれる。ただそれだけの事が異常に恥ずかしくて、思わず手を振り払っていた。 「やめっ」  バシッと、勢いよく払った手が浅丘の手に当たる。 「庸二?」 「あ…ごめ…」  何をやっているのだろうと、そう思う。きっとこれは冗談で、何を本気になってるんだと笑われるのがオチで。それなのに俺は一人で慌てて浅丘の手を叩いてしまった。  俯いた口から、無様に引き攣れた笑いが漏れる。 「はは…っ、何言ってんのお前ら…人揶揄うのも大概にしとけよ…。高槻、俺と浅丘はただの同期で…浅丘は俺と違ってモテるんだから失礼な事言ってんな」 「え? 課長…あー…いや、内海さん、それ本気で言ってます?」 「当たり前だろ。お前が何勘違いしてるのか知らんが、俺も浅丘もそんなんじゃない」  そんなんじゃないと言いながら、”そんなん”がいったい何を指すのか分かっていない俺は、それでも高槻の誤解を解くのに必死だった。  なのに。 「ったく、やっぱりお前を途中で追い返しておくんだったよ高槻」 「いやぁ…、浅丘さんって案外慎重派なんですね」 「馬鹿かお前。俺はお前と違って今の立ち位置に何の不満もないだけだ。お前みたいなのが出てこなければな」 「あぁー…なるほど。でもすいません。俺って欲しいものはどうしても手に入れたくなっちゃうタイプなんです。本気出した方がいいですよ? 俺、奪うのも大好きなんで」  渋い顔の浅丘と、にこにこと笑う高槻の遣り取りに待ったをかけねばならない気がする俺だが、口から零れ出た声はそれはもう情けないもので。 「ぃあ待てお前ら!? 何言ってんの冗談だろ!? なあ肇、お前それじゃ高槻が言ってるのが正しいみたいに聞こえるし! 高槻もただ揶揄っただけだろ!?」  言いながら俺は、思わず浅丘に縋りついた。嘘だとはっきり言ってやれと、そう願いを込めて。けれど…。 「悪いな庸二。お前に言い寄ってくる奴が現れなければ隠しておくつもりだったんだが…、まあ、こうなったら仕方がないよな?」 「俺も揶揄ってるつもりはないですよ、内海さん。本気で、貴方が好きなんです」  言葉が、出てこない。俺は目の前の浅丘と、今やソファから立ち上がってにっこりと笑う高槻を交互に見た。  目の前で、浅丘の端正な唇が動く。 「お前が好きだ」  短く告げられた告白に、顔に熱が集中する。不毛すぎる話だと、心の底から思いながら、片隅にどこか嬉しい自分がいて。俺は訳が分からなくなった。  頭の中だけでグルグルと回っていた思考が溶け出して、毒のように全身に回っていく。ぐにゃりと目の前の浅丘の顔が歪んだ気がしたけれど、その後の事は何も覚えてはいなかった。   ◇   ◇   ◇  目を覚ますとそこは、浅丘の家の寝室だった。いつも当たり前のように隣に寝ているはずの浅丘が居ない事に違和感を感じ、次いでいつの間に寝たのだったかと記憶を探る。  そして思い出した。浅丘と、高槻の言葉を。 『お前が好きだ』 『貴方が好きなんです』  不意に、あの二人はいったいどうなったのかと不安が過る。浅丘の事だから俺が寝ている間に高槻を追い出したかもしれない。それならそれでいいが、最悪は殴り合いになどなってはいないかと心配になる。  浅丘は案外自己主張が強いし、譲らない。高槻もどちらかと言えば似たような性格だと把握している。  寝ている場合ではないのではなかろうかと、ガバッと勢いよく上体を起こしたものの、くらりと目眩がして俺は再びふかふかの枕に向かって倒れた。嗅ぎ慣れた浅丘の匂いに思わず安心してしまう。  しばらくすんすんと落ち着く香りを嗅いでいれば、徐々に思考が回り始める。  ――好き…? どこが? いつから?  揶揄うなと払い除けるには、二人の表情は真剣過ぎた。となれば残るは高槻の言う通り、本気な訳で。  高槻は別として、いったい浅丘はいつからそんな感情を抱いていたのかと気になって仕方がない。かれこれ十五年近い付き合いの中で、浅丘は一度もそんな素振りを見せた事がなかった。  確かになんとなく馬が合うし、嫌な事は嫌だとはっきり伝えてくれる浅丘は俺にとって付き合いやすい。就活の時だって、面接のアドバイスやエントリーシートの上手い書き方なんかも、なんやかんやと世話になった。  金曜日の飲み会だって大学の頃から今の今まで続いてきたくらいである。それなのに、浅丘はまったくそんな気配を見せた事がないのだ。  だが、何故高槻はそれに気付いたのだろう。『浅丘課長は、きっと俺が邪魔なんですよ』と、そう言った高槻はきっと浅丘の気持ちに気付いていたのだろうと思う。だが、何故?  確かに今日の浅丘はいつもより不機嫌ではあったが、別にだからって俺が好きだなんて素振りは一切なかった筈だ。なのに何故付き合いの浅い高槻には分かったのだろうか。いくら考えても答えなんか出やしない。だが、何故かそれが悔しかった。  ――なんでアイツの方が肇の事分かんの…。  モヤモヤと胃の辺りが重くなるのを自覚して、俺はゆっくりと躰を起こした。そんなに飲んだ覚えもないけれど、水を飲んだ方がいいかもしれない。今度は、目眩はしなかった。  ゴソゴソとベッドの上を這って、床に降り立つ。いつの間にか、持ち込んだ自前のパジャマに着替えさせられている辺りが浅丘らしい。  寝ていたというより倒れたのだと思い至った俺は、ゆっくりとした動きでドアまで移動した。薄く開けたドアの隙間から光とともに声が聞こえてきて、立ち聞きはどうかと思いつつも耳を澄ませる。 「あー…それ、何となく分かりますわー。僻みすぎっていうか…」  呆れたような、けれどどこか楽しそうな雰囲気に聞こえる声は、高槻のものだ。  ――え?  いったいいつの間に和解をしたのだろうかと、そう思う前に、俺は再び胃の辺りにモヤモヤとした重みが圧し掛かるのを感じた。それが何なのか分からないまま、そっとドアを閉めようとした時だった。 「庸二?」 「ッ…」  唐突に浅丘に名前を呼ばれて、思わずバタンとドアを閉める。ついでに鍵をかけて、俺はベッドに潜り込んだ。  ガチャガチャとドアノブを下げる音と、次いでノックと浅丘の声。 『どうして鍵なんか閉める。開けろ』 「嫌だ!」 『はあ? 意味が分からん』 「お前の顔なんか見たくない!」  何故だかイライラして仕方がなかった。八つ当たりのように怒鳴り返し、掛布を頭からすっぽり被った俺はパジャマの胸元を強く握りしめる。それでも湧き上がるモヤモヤは止まらなくて、どうしようもなく胸が痛かった。  ――なんで急に仲良く話してんの?  『開けろって言ってるだろう』 「嫌だって言ってんだろ!」  溜息がドアの向こうから聞こえて、それ以降向こう側が静まり返った。ほっと胸を撫で下ろし、小さく息を吐いた瞬間。もの凄い音とともに掛布の隙間から光が差し込む。 「ッ!?」  思わずぎょっとして顔を出せば、そこにはドアノブが無残にひん曲がって外れそうになっているドアと、浅丘の姿がある。明らかに蹴り飛ばしたか何かをしたドア板は、割れてはいないもののヒビが入っていた。  あまりの光景に目を見開いていれば、浅丘の口から低い声が流れ出る。 「てめぇ、顔なんか見たくないってどういう事だ。しかもご丁寧に鍵まで閉めやがって」 「ぃや…だって…だからって…その…」  意味をなさない声が口から零れた。自分でも何を言っているのかわからなくなって、情けなくなってくる。言いたい事はたくさんあるのに、どれから言えばいいのかわからない。  それ以前に、浅丘が怖かった。  手元にあった大きな枕をぎゅっと握った俺は、そのまま胸の前に抱え込んだ。心を落ち着けようと息を吸い込めば、浅丘の匂いがして少しだけ落ち着きを取り戻す。  ふかふかの枕に口許を埋めたまま、俺はゆっくりと話した。 「なんか…モヤモヤして…嫌だったから…」 「何が嫌だったんだ?」 「ぅ……言いたくない…」 「それじゃ分らんだろうが」  呆れたように言う浅丘の後ろには高槻が居て、意外そうな表情でこちらを見つめていた。思わず視線を逸らせば、浅丘が後ろを振り返る。 「なるほど。…高槻、お前ちょっと席外せ」 「はーい」  大人しく浅丘の言いつけに従う高槻に、忘れかけていたモヤモヤが胸の奥に再び広がった。必死に枕を抱き締めていれば、小さな溜息を吐いた浅丘がベッドに腰掛ける。  片足をベッドの上に乗せた浅丘にちょいちょいと手招きされた俺が枕を抱えたまま近寄ると、あっという間に引き寄せられて脚の上に頭を乗せられた。 「それで、何が嫌だったんだ?」 「高槻と…いつの間に仲良くなったの…」 「くくっ、そう言う事か」  可笑しそうに笑いながら俺の頭を撫でてくる浅丘は、どこか嬉しそうで。それだけで俺が何を言いたいのか分かったと言わんばかりの顔つきをした。 「お前、馬鹿だな。俺が高槻とどうにかなるとでも?」 「だって…あんなに不機嫌だったのに仲良くなってるし…」 「まあ、話してみればアイツの性格は嫌いじゃないが…」 「やっぱり…」  高槻が俺の部署に配属になって、どこか浅丘に似ていると、そう思ってはいた。考え方や仕事に対するスタンス、自信に溢れた立ち振る舞いが、高槻と浅丘は似ているのだ。もちろん、仕事も出来る。だから何となく他の新人よりも目に付いたし、どことなく可愛がってはいた。  でもそれがこんな形で自分に降りかかってくるとは思ってもいなかったのだ。高槻自身は嫌いじゃないけれど、浅丘は取られたくない。  ――あれ…? 何で?  そう思った時にはもう手遅れで、俺は胸に抱いた枕に全力で顔を埋めていた。  くつくつと、浅丘の可笑しそうな笑い声が降ってくる。それが、全てを物語っていた。案の定…。 「ようやく気付いたのか?」 「っ…知らないっ」 「はーん? 可愛くないねお前は」 「るっさい馬鹿ッ」  ゆったりと頭を撫でる浅丘の手が、とてつもなく優しかった。  ――いつから…? いつからコイツはこうやって俺の頭を撫でてたっけ…。  思い出そうとしても思い出せないくらい昔から、浅丘はこうして俺の頭を撫でていた気がする。最初は子供扱いされているのだと思って少しだけ嫌だったけれど、こうして俺の頭を撫でる時の浅丘の顔はすごく優しくて。  ――いつの間にか心地よくなってたんだ…。  おずおずと枕から顔をあげれば、やっぱり優しい顔をした浅丘が居た。 「……いつから…?」 「忘れた」 「そっか…」  忘れるほど前からなんだと、そう思うだけで、今度は嬉しくて胸が痛くなる。我ながら単純だとは思うが、嬉しいのだから仕方がない。  照れくさくて再び枕に顔を埋めた俺の耳に、だが流れ込んできたのは高槻の声だった。 「もういいですかね? …って、それは狡いなぁ…浅丘さん…」 「最初に言っただろ、コレは俺のモノだって」  俺のものと、浅丘の言葉に思わずときめいたりしつつ、俺は黙っておく事にする。恥ずかしくて顔をあげる気にすらならないから。 「俺完全に噛ませ犬じゃないですか」 「残念だったな」  だがしかし、そこに来て俺は重大な事実を聞きそびれている事に気付いた。浅丘の答えを、俺はまだ何も聞いてないのだ。やっぱりモヤモヤが…と言うよりもはぐらかされた上に仲良く二人で話されて腹立たしい。  ドスッと、目の前にある浅丘の脇腹を肘で殴る。 「っなんだ急に?」 「……別に」  ムカツク。と、そう小さな声で言えば、笑い声が降ってくる。その後で、浅丘が高槻を呼んだ。 「おい高槻。お前のおかげで俺は妙な誤解をされてるんだがどうしてくれるんだ?」 「何です妙な誤解って…」  怪訝そうな声で問いかける高槻に、可笑しそうに笑いながら浅丘が言った。 「俺とお前が仲良くしてて、取られやしないかとやきもきしてる男がいてな」 「はあ? 勘弁してくださいよ内海さん…。俺が好きなのは貴方で、浅丘さんじゃないですよ」  心底嫌そうな顔をしているだろうことが明らかにわかる高槻の声。それに、俺はほっと胸を撫で下ろした。 「いったいどうやったらそんな考えに辿り着くんです?」 「それだけ俺が好きなんだろ」  さらりと自信満々に言い放つ浅丘に、高槻が乾いた笑い声を響かせる。 「参っちゃうな。でも、俺もそう簡単に諦めるつもりはないんですよね」 「まあ、お前と話してたらなんとなくそれは分かる」 「ははっ、ですよね。もし逆の立場でも、浅丘さん絶対諦めないでしょ」  浅丘と高槻の間で交わされる遣り取りに、少し前までの刺々しさは一切なかった。元々なんとなく似てるなぁ…とは思っていたが、まさかこんなに早く打ち解けるとは思ってなかった俺だ。
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