同期と部下に狙われました。

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同期と部下に狙われました。

 『好きなんです』と、そう言ってはにかむような笑顔を見せたのは、今年新卒で俺の部署に配属されてきた新人の高槻薫(たかつきかおる)二十四歳、独身、男。今期の新入社員の中で一番かっこいいと、女性社員たちがはしゃいでいたのを覚えている。  だがしかし、好きとはいったいどういう事だと、そう思う。尊敬しているとか、憧れてるならまだしも。俺は男で。どうしてそんなナチュラルに男に告白されなきゃならんのだと、そう思う間もなく高槻はあっさりと踵を返して部屋を出て行った。思わずその場にへたり込む。  ――好きです…って…。マジか?  内海庸二(うつみようじ)三十二歳、独身、男。至って平凡な、目立つところも何もない冴えないサラリーマン。ちなみに身長は百七十センチ…という事にしてあると言えばお分かりいただけるだろうか。大学を卒業して高槻と同じ二十四の時にこの会社に入社し、今では一応この部署、営業部第三課の課長である。  話の流れ的に、その前に何が好きだなんだという名詞が出てきたかと思い返してみても、それらしいものはなく。思い出せる範囲での遣り取りは明らかに俺の話。 『内海課長って女性にモテそうですよね』 『嫌味かお前。女にモテてたら今頃結婚してるだろ。子供は二人くらいかな』 『じゃあ、彼女さんとかもいらっしゃらない?』  そう、確かそんな話。どうしてそんなに俺の事を聞くのだと、そう言った俺にあいつが言った言葉。 『好きなんです』  ごく自然にもたらされた言葉が頭の中をぐるぐると回る。デスクの真横に座り込んだまま頭を抱えていれば、いつの間に戻ってきたのか、二課の課長で同期の浅丘肇(あさおかはじめ)の声が降ってきた。 「何してんだお前」 「ぉわっ!? っな、何でもない」 「ふぅん? その割に顔真っ赤だけど、女にでも告られた?」 「こっ、告白なんてされてないっ」 「アヤシイねお前…」  浅丘は、高槻に負けず劣らず入社時から女性社員株を総ざらいにしている男である。男の俺から見ても、仕事も出来るし男らしいと、そう思う。ついでに言えば実家が金持ちだ。  ニヤニヤと口角を歪ませて顔を覗き込んでくる浅丘の額をぐいっと手で押しやる。どうしてこう、この男はいつも揶揄ってくるのかと渋い顔をしながらも、俺は口許を手で押さえた。そんなに、赤い顔をしているだろうか。  だが浅丘は深く突っ込んでくる訳でもなく、俺の隣にある自分のデスクへとあっさり戻って行った。  一日分の仕事を片付けているうちに俺は高槻の告白などすっかり忘れ去り、そろそろ定時かとデスク周りを整頓していた。つい先ほど出先から戻ってきたらしい高槻本人が机を挟んで目の前に立っても、まったく思い出しもしなかったのである。 「あの、課長」 「ん?」 「今日ってこの後空いてます?」  ごく自然に問いかけられて、思わず俺は隣の席を見た。何故なら、今日は金曜日。毎週金曜は浅丘と酒を飲むのが習慣だから。  俺と高槻の会話は聞こえているはずで、案の定浅丘もこちらを見る。そして、その形の良い唇が動いた。 「悪いな高槻。ソレ、俺の」 「人の事をソレって言うな。それに俺はお前のモノじゃないぞ!」  変な誤解をされかねない浅丘の台詞に突っかかっていれば、『そうですか』と残念そうな声が聞こえてきて、思わず俺は浅丘を見る。 「ああ…飲みでいいなら別に一緒に来ても構わないが…なあ浅丘?」 「ええー? 俺はお前と二人じゃなきゃ嫌だー」  イヤイヤとわざとらしく首を振ってみせる浅丘は、また始まったと笑う周囲の社員など気にした様子もない。それがいつもの事だから。突っ込みを入れる気にもならず、俺は高槻に『アレと一緒でも良かったらくれば?』と、そう告げた。 「じゃあ、遠慮なくお邪魔させてもらいます。浅丘課長ともお話しできる機会なんて滅多にないですし」 「ああ、そう言えばそうだな」  そんな遣り取りの後、定時で仕事をあがった俺は、いつものように酒とつまみを買い込んで浅丘のマンションへと向かう。浅丘とは大学で知り合って以来何故か馬が合い、今の会社も二人で採用試験を受けたのだ。  そんな話をしながら歩いていれば、浅丘が酒の入った袋を持った腕を肩にかけてくる。 「重っ!!」 「腕が疲れた。休ませろ」 「はあ!? だったら持ってやるから離せよっ」  俺よりも十センチほど身長が高い浅丘は、たまにこうして人を柱代わりにする。 「まあまあ良いだろー? 休ませろよ」 「だから持ってやるって言ってんの!」 「お二人は仲がよろしいんですね。…俺持ちます」  浅丘の手から袋を奪い取り、肩にかけられた腕を引っぺがそうと四苦八苦していれば、横から高槻に袋を奪われた。 「てか最初から持てよ若造」 「浅丘ー」 「ああいえ、いいんです内海課長、俺が悪いんで。気が付かなくてすみません浅丘課長」 「本当にな。つか庸二、会社出たら肇って呼べって言ってるだろ」 「いいからお前はいい加減離れろアホ」  何故か高槻に当たりの強い浅丘を押し返す。普段はここまで部下に対して厳しいような奴じゃないのにと、そう思っていれば、隣で高槻が乾いた笑いを零した。 「ははっ、もしかして俺、浅丘課長に警戒されてます?」 「おー、敏いじゃねぇか。分かってんなら今すぐ帰れ」 「ちょっ、浅丘!?」  何で警戒とか敏いとか、そんな話になるのかさっぱりわからないが、高槻を追い返そうとする浅丘には困る。いったい何が気に入らないのか俺にはさっぱり分からなかった。  だが、そんな俺の困惑をよそに浅丘は一層不満そうな声で言いながら俺の首をガッチリとホールドしてくる。 「だーかーらー、名前で呼べって言ってんだろ庸二」 「なんでそんなに拘るんだよ、部下が居るんだからいいだろ苗字でも」 「お前が肇って呼ばないなら高槻帰らせろ」 「はあ? なんだその理屈…って、苦しいっつーの!」  ぐいぐいと首を締めあげられてさすがに息苦しい。元から過剰なスキンシップをしてくる奴ではあったが、さすがに今日は部下もいる手前やめて欲しかった。 「わかったっ、分かったから腕離せよ肇! もう着くだろ!?」  諦めて肇と、そう呼べば、浅丘は満足したように笑って腕を離した。『子供か!?』と、そう言って顔を顰めてもどこ吹く風で笑う浅丘は、目の前のマンションへとスタスタと入って行ってしまう。  後に続こうとすれば、後ろから高槻の声が聞こえてきた。 「ここ、浅丘課長の家ですか?」 「ああ」 「いいところに住んでますねー。さすが課長ともなると違うなぁ…」  そう言ってマンションを見上げる高槻に苦笑が漏れる俺は、同じ役職でもワンルームの独身用マンションだ。 「アイツの家の持ち物。浅丘の実家、元々この辺の地主なんだよ」 「えっ? 凄いお金持ちじゃないですか」 「お前それ、アイツの前で言うなよ。本気で追い出されるぞ」 「あっ、了解です」  いつもであれば金持ちなどと言われても浅丘は何も気にしない。けれど、何故か少しでも気に入らない奴に言われると、それだけで絶縁してしまうほどなのだ。今日の浅丘と高槻の遣り取りを見ていれば、一応釘を刺しておかないと面倒な事になる。  さすがに高槻に会社を辞めろとまでは言わないだろうが、確実に口を利かなくなる。いくら課が違うとはいえ、それもそれで拙いだろうと思う俺だ。  ともあれ高槻をコイコイと手招いて、俺は浅丘の待つエントランスへと入った。 「遅い」 「悪い悪い」  オートロックの自動ドアを抜け、エレベーターへと乗り込む。毎週通い慣れた浅丘の部屋は、最上階にある。  ドアを開ければ自動でライトが灯り、相変わらず綺麗に掃除され塵一つない玄関があって、廊下の突き当りがメインのリビングルーム。 「着替える。先に行ってろよ」 「うん」  そう言って浅丘が途中にあるドアに消えるのも、いつもの事だった。買い込んだ酒の入った袋を持つ高槻を伴って、俺は勝手知ったるリビングへと足を踏み入れる。 「あ、冷やしておくものだけ先にくれ。冷蔵庫に入れてくる」 「俺がやりますよ」 「あー…いや、いい。アイツ知らない奴にその辺いじられるの好きじゃないから。大人しく座ってろ」 「ああ…はい」  聞きわけよくソファに腰を下ろす高槻に笑いかけ、俺は余分な飲み物を冷蔵庫に突っ込んだ。ついでに食材も適当に並べて入れておく。  最近では文句を言われなくなったが、浅丘は意外と几帳面で、雑に突っ込むと後で怒られる。まあ、正直面倒な奴なのだ。嫌いではないけれど。  カウンターを回り込んで戻れば、リビングを眺めまわしていた高槻が振り返る。 「なんか…生活感ないですね」 「まあ、週末以外は毎日ハウスキーパー入ってるしな」 「げっ、マジですか?」  はぁー…と、呆れたような、惚けたような溜息を吐く高槻の気持ちは、俺にも分からなくはない。そう大手でもない企業の営業などが手に入れられるような生活じゃない事だけは確かだから。  まあ飲めと、そう言って缶ビールを差し出してやれば、高槻が僅かに眉根を寄せた。 「待ってなくていいんですか?」 「ん? ああ、アイツ風呂入ってくるだろうし、先にやってても怒らないから。ツマミはアイツが戻ってこないとないけど」 「あー…あれは意外でした。この部屋見てても思いますけど、浅丘課長って料理とかしそうに見えませんよね」  高槻が意外というその理由は、きっとスーパーでの事だと思う。浅丘は、出来合いの惣菜ではなく、食材を自ら選んで買ってきているから。 「ははっ、正直な話、俺よりもアイツの方が家庭的だよ」  それは事実だ。俺は料理はそんなに得意じゃないし、掃除や洗濯だってやってくれる人が居ないから自分でやっているようなものである。早く嫁でも貰いたいところだが、残念ながら出会いもないままこの年になった。  そう言って俺が笑えば、高槻が僅かに俯く。 「一緒にいられたら、全部俺がやるのに…」 「え…?」  小さすぎてよく聞き取れない声に首を傾げれば、高槻は顔をあげて笑ってみせた。 「なんでもないです。また今度話します」 「うん?」 「今度、よかったら家にも飯食いに来てくださいよ課長。俺が作るんで」 「いやいや、部下の家に飯食いに行く上司なんていないだろ。逆ならまだしも…」  同期の浅丘ならまだ分かるが、さすがに部下の家に食事をごちそうになりに行くのは気が引ける。正直な事を言えば、俺はあまり職場の連中と外では関わりたくない。というのも、俺や浅丘が入社した当時の上司が軒並み毎週末は飲みに誘ってくるような奴で、うんざりしているのだ。  気心の知れた相手ならまだしも、会社の上司に付き合って飲む酒など美味いとは思えない。そう考えると、高槻は物好きな奴だと思う。 「お前、俺と酒飲んで楽しいのか?」 「え? どうしてです?」 「あー…いや、上司に付き合うのって面倒じゃないか?」 「じゃあ、課長は部下と飲むのって面倒です?」  質問にことごとく質問を返してくる高槻に苦笑が漏れる。 「あのな、俺が聞いてるんだよ。別に怒んないから答えろ」 「というか、誘ったの俺ですし…面倒とかはないですね。まぁ、しいて言うなら課長と二人が良かったですけど」 「悪かったな俺が居て。嫌なら帰れ」  唐突に聞こえた声に振り返れば、タオルで頭を拭きながら部屋に入ってくる浅丘の姿があった。ドアを閉め忘れていたのは迂闊だったと、そう思う。 「浅丘…お前いい加減に…」 「肇」  言葉を遮るように言う浅丘の声が低い。どうして今日はそんなに機嫌が悪いのか謎で仕方がなかった。高槻が何か迷惑でもかけたのだろうかと、ふと考えてみても思い浮かぶ節はない。 「肇…何でお前そんなに今日は機嫌悪いんだよ」 「浅丘課長は、きっと俺が邪魔なんですよ」 「邪魔って…そんな事ないだろ」  高槻の言葉に思わず反論してみるものの、確かにそれ以外に浅丘の態度は考えようがない。ただ、その理由がわからないから困るのだ。  だがしかし、高槻の言葉に俺は固まる事となった。 「だって浅丘課長って、俺と同じ意味で内海課長の事好きですよね?」 「え……?」  一瞬、何を言われているのか理解が追い付かない。同じ意味でとはどういう事かとか、好きっていうのは何だったかとか、色々な事が頭の中をぐるぐると回り始める。それは、酔いに似ていた。  だが、俺の事などお構いなしに、高槻が続ける。 「あれ? もしかして浅丘課長、内海課長に何も言ってないんです?」 「は? え?」 「庸二、お前ちょっと黙ってろ」 「いやだって…」  自分の事なのに黙っていろと言われるのもおかしな話だ。だが、高槻の言っている意味を把握するには、少し時間がかかりそうである。  いやしかし、浅丘が高槻と同じように俺を好きとはいったいこれ如何に。今までそんな素振りなど浅丘はみせた事がない。そもそも高槻にしても、好きなどと…と、不意に昼の出来事を思い出して、俺は思わず頭を抱えた。
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