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act.01 ”Similar things”
辰巳の目の前を浅黒い肌の男がひとり、通り過ぎた。
何やらブツブツと呟いていたが、日本語でも英語でもないその言葉を辰巳は理解が出来ない。ただ、妙に目の据わったその男が気になって思わず立ち止まる。
気付いたフレデリックが辰巳を振り返った。
「辰巳?」
「今の、何か妙じゃなかったか?」
訝し気に呟く辰巳の視線をフレデリックのそれが追う。そこには、背を丸めるようにして歩く男の姿があった。
確かに言われてみれば、どことなくフラフラとした足取りが妙ではある。
「あの男の事かい?」
「ああ。何かブツクサ言ってやがったが、妙に目が据わっててよ」
ふぅん……と小さく唸り、束の間考えるような素振りを見せたフレデリックがにこりと笑う。
「ねえ辰巳、この先には何があると思う?」
唐突にフレデリックがクイズのように問いかけた。
だが、そんな事を聞かれても辰巳には分かるはずもない。「知る訳ねぇだろう」と素っ気なく答える辰巳にフレデリックは楽しそうに笑ったのである。
「教会」
「あぁん? そんなもんまであんのかよ」
「教会って言っても、別に懺悔をするための場所じゃなくて、挙式に使うんだけどね」
そう言ってフレデリックは胸元から携帯電話を取り出すと、どこかに電話をかけ始めてしまう。相手は日本人ではないらしく、フレデリックの口から流れ出る英語を辰巳がぼんやり聞いているうちに、男の背中は緩く描くカーブの先に消えてしまった。
やがて通話を終えたフレデリックは、無言のまま辰巳を上から下まで眺め回した。「まあいいか…」と、そう呟いて辰巳の腕を引く。
そのまま男の向かった方向へと歩き出されて、辰巳の口から慌てたような声が零れ落ちた。
「おい……っ」
「行ってみようか」
そう言ったフレデリックの口調は楽し気で、その時点で辰巳は状況を把握してしまった。……気がした。
フレデリックがこう、妙に浮かれたような、楽しそうにいう時は、だいたいがトラブルだと相場が決まっている。とは言えど、先ほどの男は辰巳も気になっていた。
男と教会がどう繋がるのか辰巳には分からないが、フレデリックの中では何かが繋がったのだろう。フレデリックは、自分などより頭の回転が速い。
腕を取られたまま連行されて辰巳の眉間に皴が寄った。
「わかったから腕放せフレッド。歩きにくくて仕方がねぇよ」
辰巳が言えば、フレデリックは素直に腕を放した。少しだけ縒れた袖を直しながら問いかける。
「つぅか、どこに電話してたんだ?」
「式の予定を聞いてたんだよ」
何の式かなどという愚問は、もちろん辰巳がするはずもない。
「それで?」
「今、ちょうど挙式が行われてる」
「はぁん? この先ってのは、教会しかねぇのかよ?」
「うん。一応通路はあるけれど、挙式中は関係者以外は抜けられないようにしていてね。挙式中の教会には、行くにも出るにもここを通るしかないという訳」
この船の中の事について、フレデリックの言っていることが間違っている筈はない。つまり男の目的地は教会という事だ。
友人や知人の結婚を祝うような雰囲気では、もちろんなかった。とすれば、男には他に目的があるという事になる。
フレデリックが辰巳を眺めまわしたのは、大方服装でも確認していたのだろう。一応スーツを纏っているもののネクタイは着けていなかった。妙な事になったものだと、辰巳はガシガシと頭を掻く。
今しがた男の背中が消えた通路を進み、緩やかなカーブを曲がるとガラス張りの吹き抜けの下に本物の教会が建っていた。教会を含め、まるで屋外であるかのように植え込みが配置されたその空間に、辰巳は驚きを隠せない。
小規模だが本物の庭園のような空間。教会の前には華やかに着飾り談笑する列席者たちの姿があった。
フレデリックはそれを横目に、通路のすぐ横に立つスタッフへと声を掛けた。
思わぬ人物の登場に、スタッフが驚きの声を上げる。それに苦笑を漏らして、フレデリックは小さく肩を竦めながら男の行方を問いかけた。
「お疲れ様。今しがた、男性が一人入って来なかったかい?」
「男性でしたら先ほどあちらの方におひとり…」
スタッフが指した先には東屋のような小さな建物があった。少しだけ奥に配置されたその手前には、植え込みが配置されている。
微笑みながらスタッフへと礼を告げて、フレデリックが辰巳を振り返った。
「行こうか」
辰巳が足を踏み出したちょうどその時、教会の扉が開くのが見えた。中から新郎新婦が姿を現してわっと歓声が上がる。その時にはもう、辰巳とフレデリックは人垣のすぐ後ろまで移動していた。
新郎新婦を取り囲む列席者の右手、東屋の方向に辰巳は浅黒い肌の男を発見する。男の手に握られている物を見て、辰巳は短くフレデリックを呼んだ。
「僕が行こう。辰巳は、万が一の時のためにここに居て」
そう言って、フレデリックが音もなく走り出す。
辰巳は言われた通り男と列席者たちの間を遮る位置へと移動した。といっても、万が一など起きようはずもない事は分かっている。刃物を持っていようが、男はその場でフレデリックの手によって取り押さえられるだろう。そんな確信が辰巳にはあった。
美しい花嫁と幸せそうな新郎に気を取られている列席者たちが、辰巳とフレデリックの動きに気付いた様子はなかった。もちろん、新郎新婦も。
どこか遠くに聞こえる歓声の中、フレデリックが男のもとに到達する。鮮やかとしか言いようのない動きで男の手を捻り上げると、同時にフレデリックは男の口許を大きな手で塞いだ。
式への配慮と一切無駄のない動きに、様子を見ていた辰巳は思わず小さく口笛を吹いた。
辰巳が合流すると、スタッフが困ったような顔で近付いてくる。その足取りもごく自然なもので、新郎新婦や列席者の気を引く事はなかった。
この程度のトラブルは日常茶飯事だとでもいうように、やってきたスタッフはフレデリックに肩を竦めてみせた。
「さすがですね、キャプテン」
「セキュリティーに連絡を。右舷側の通路で引き渡すと伝えてくれるかな」
「了解です」
フレデリックが短く伝えれば、小型の無線を使って遣り取りをしながらスタッフはさっさとその場から立ち去ってしまった。
辰巳がフレデリックとともに建物の裏手へと回ると、通路にはすでに一目でセキュリティーだと分かるスタッフが数名立っている。交わされる遣り取りは簡潔で、引き渡しはすぐに済んだ。
挙式中は閉鎖しているというだけあって、ひと気がなく静かな通路をふたりはそのまま進んだ。
フレデリックが、ありがとうと微笑む。
「別に俺は何もしちゃいねぇよ」
「辰巳があの男に気付いてくれなかったら、今頃誰かが刺されていたかもしれない。そうならなかったのは、キミのおかげだよ」
「俺は妙だって言っただけだぜ。あとはお前が全部やった事だろ」
相変わらず勘が鋭いというか、先を読むことに長けた男だと辰巳は感心する。確かに、通路の先に何があるかなど辰巳には分からない事だったが、例えそれを知っていたとしてもフレデリックのように即座に予定を調べるなどという行動には及ばないだろう。
辰巳の場合は、妙だと思えばただ追いかけるだけだ。要は単純なのである。
ましてフレデリックは、男の後ろ姿を見ただけだ。それだけで何かが起きるかもしれないと、どうして予測できるのか。それを言えば、フレデリックはクスクスと声をあげて笑った。
「だって、辰巳が妙だなんて言うのに放っておける訳がないじゃないか。キミの勘は鋭いからね」
「そりゃあ信用してくれてありがとうよ」
勘と言われてしまえばそれまでだが、確かに辰巳は妙に胸騒ぎだったり確信だったり、そういう第六感のようなものを感じる事はある。もちろん根拠はない。
それを自分で上手く活かせるのなら大したものだが、実際は何の役にも立っていないから困るのである。今回のようにフレデリックがいれば話は別だが。
「しかしまぁ、船ん中にあんなもんまであるとは思わなかったぜ」
「教会の事かい?」
「ああ」
辰巳は教会の内部を再現したような場所があるものだとばかり思っていたのだ。そう大きくはなかったが、まさか建物がまるまる船の中にあるとは思ってもいなかった。
大型客船『Queen of the Seas』。豪華客船などとは無縁の生活を送ってきた辰巳にとって、この船は本当に驚かされる事ばかりだ。
「ねえ辰巳」
フレデリックが、辰巳の袖を引く。
「あそこで、ふたりだけの結婚式をしようか」
「あぁん? またとんでもねぇ事を言いだすんじゃねぇよお前は……」
勘弁してくれと辰巳は額に手を遣った。経験上、言い出したら実行してしまう節があるのがフレデリックの厄介なところだ。
いくら付き合っているとはいえ、男ふたりで挙式など辰巳には想像もできない。
「ふたりきりで挙式なんて、ロマンチックだと思わないかい?」
「思わねぇよ」
即座に辰巳が否定すれば、フレデリックは拗ねた素振りを見せながらも耳元に囁いた。
「照れなくてもいいんだよ? 僕の可愛い子猫ちゃん♪」
相変わらず揶揄うようなその言葉に、辰巳は立ち止まってフレデリックを見る。
「一度、本気でぶん殴ってやろうか?」
「辰巳……? 目が本気に見えるんだけどな……」
「おう。お前には本音しか言わねぇって約束したからな」
にやりと辰巳が口許を歪めて嗤えば、今度はフレデリックが頭を抱える番だった。
いつもなら子猫ちゃんなどと言われれば顔を顰めて「うるせぇよ」などと返す辰巳だったが、たまにはやり返すのも悪くない。妙な唸り声をあげるフレデリックを満足げに見遣って、辰巳は喉の奥で小さく嗤うと追い打ちをかける。
「本当にお前は可愛いなぁ、フレッド」
「ッ……!」
普段自分が言う台詞を真似する辰巳の腕を、フレデリックは引っ掴んだ。
「ったく、急に引っ張ったら危ねぇだろうが…」
引きずられそうな勢いに、辰巳は苦笑を漏らす。相当お怒りなのか、それとも喜んでいるのかは分からないが、黙ったまま大股で歩くフレデリックに腕を引かれては、力で敵わない辰巳はついていくしかない。
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