蜜月に愛は謀られる。

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 辰巳がそう言えば、フレデリックはガバッと躰を起こした。開き直ったのかソファにふんぞり返って腕を組む。ついでのように脚を高く組んだ。  随分とふてぶてしい態度に、おや? と片方の眉を愉しそうにあげる辰巳の横で、フレデリックは言い放った。 「男たるもの嫁の我儘を笑って叶えてやるくらいの度量があっても良いと思うけどね!」 「ねぇよ」  あっさりと返す辰巳をフレデリックがじろりと睨む。 「縛り上げて担いでいってあげようか?」 「そんなんでお前が満足出来るっつぅならやってみろ」 「出来ない!!」  そう叫んで胸にしがみ付くフレデリックに苦笑を漏らす辰巳である。じたじたと色々な手を使って我儘を通そうとするフレデリックは、辰巳にとってとても可愛い。例えそれが自分よりも大きな躰をしている男であろうとも。  次はいったいどんな手で我儘を言うのかと愉しくなってくるのである。なにせ既に、辰巳の答えは決まっているのだから。  見下ろす辰巳の視線の先で、不意にフレデリックが顔を上げた。その表情は、至極真面目だ。 「僕と結婚してください」  ストレート過ぎる求婚に辰巳は思わず笑ってしまう。男に向ってそれはないだろう…と、思いはするものの、求めるように頬に手を伸ばすフレデリックは辰巳が惚れ惚れする程男前だったのである。  照れ隠しにペシッと手を叩き落とす。 「ばぁか。それじゃあまるで俺が嫁みてぇじゃねぇかよ」 「仕方がないじゃないか、僕だって男なんだから」 「違いねぇ」  相変わらず胸にしがみ付いたままのフレデリックを抱き締める。本当に、男前な嫁で困ってしまう辰巳だ。ガーゼの張られた額に軽く口付けを落として囁いた。 「仕方ねぇから嫁の我儘を聞いてやるよ」 「僕の旦那様は意地悪で困る」  困る。と、そう言うフレデリックは、辰巳が最後は我儘を聞いてくれる事をしっかりと知っている。辰巳はとても優しい旦那様なのだ。  嫌だと顔を顰めながらも我儘を聞いてくれる辰巳に、フレデリックは甘えるようにキスをする。 「大好きだよ辰巳…」 「怪我人が煽ってくれんじゃねぇよ」 「もう傷は塞がってるよ」  言いながら背凭れに辰巳を囲い、フレデリックは額に貼られたガーゼを剥がして放り投げてしまった。まだ幾分か血が滲んで痛々しい傷痕は、はらりと落ちた金色の前髪に隠れてしまう。  ぱっと見では怪我をしているように見えなくなってしまったフレデリックに苦笑を漏らして、辰巳は諦めたように口付けを返した。 「だったらせめて大人しく座ってろ」 「……善処します…」 「ったく、素直なこった」  呆れたように言いながらフレデリックの躰を辰巳は押し返す。大人しくしていろと、その言う事を聞くようにソファに身を預けるフレデリックの足元に、辰巳は膝を折った。  既に存在を主張して窮屈そうに服地を押し上げているフレデリックに苦笑を漏らし、前を寛げて口に含んだ。  フレデリックの長い指先が、黒く艶やかな髪に潜り込む。 「ん…っ、気持ち良い…辰巳…」  辰巳の黒い髪を弄びながら、フレデリックは口での愛撫を享楽する。小さく響く水音が耳に心地好い。  久し振りの行為だった。幾度か手を出したフレデリックだったが、辰巳は頑として首を縦には振らなかったのである。傷に障ると、そう言って。  そのくせ強引にフレデリックが組み敷こうとすれば、真顔で傷口に親指をあてて抉られたいのかと脅すのだから辰巳は質が悪い。そして治るまでは許さないと追い打ちをかけられたのである。  一度などフレデリックが目の前で見せつけるように自慰をしようとも、辰巳は一切触れようともせず険しい顔で終わればすぐに席を立った。それにはさすがに自信を失いかけたフレデリックである。  苛めるのも苛められるのも大好きなフレデリックだが、相手が無反応な行為に興味はなかった。そしてこれまで、フレデリックが煽って陥落させられなかった相手はいなかったのである。辰巳はフレデリックに、初の黒星をつけたのだ。  それ以降はもう大人しくしている他はなく、今日までフレデリックは我慢を強いられていたという訳である。  ようやく辰巳から与えられたお許しは、歪んだ性癖の持ち主であるフレデリックにとって意図せずともご褒美になった。我慢させられていたぶんだけ気持ちが良い。フレデリックはあっという間に辰巳の口腔に欲望を吐き出した。  ゴクリと喉を鳴らして体液を飲み込んだ辰巳が耳元に低く囁く。 「早いな。我慢させられた後は、そんなに気持ち良かったかよ?」 「っ…意地が…悪いよ辰巳…」 「はぁん? 大好きだろうが? 変態」 「ん…好きっ。…でも…全然足りないッ」  強請るように手を伸ばすその先で、辰巳が服を脱ぎ捨てる。惜しげもなく曝された引き締まった躰に、フレデリックは無意識に喉を鳴らした。欲しくて堪らない。  掻き抱くフレデリックの腕の中で、辰巳の躰がゆっくりと沈む。吐き出してもなお硬いままの雄芯を、辰巳の蕾は僅かな抵抗だけで飲み込んだ。キツくて、熱くて、眩暈がするほど気持ちが良い。挿れただけで達してしまいそうで、フレデリックは堪えるように眉根を寄せる。 「っは、…っ気持ち…良いかよ?」 「キミは狡い…よ。これで大人しくしていろなんて…無理にきまってる…」 「だから傷が塞がるまで待ってやったんだろぅが」 「よく…わかってらっしゃるッ」  辰巳の腰を長い指先でがっちりと掴み、フレデリックは腰を突き上げた。僅かに引き攣れた襞の感触に堪えていた熱を吐き出せば、破裂音と共に飲み込みきれない白濁が辰巳の後孔から溢れ出る。一気に滑らかになった抽送に、フレデリックは満足そうに口許を歪めて本格的に捕食を開始した。  ソファで交わったまま、あえかな喘ぎと共にぐらりと傾いだ辰巳の躰を抱き止めて、フレデリックはその胸に頬を寄せた。辰巳の肌の熱さが酷く心地好い。  ぐったりと凭れ掛かる辰巳はまだ微かな意識を擁しているようで、ゆっくりと持ち上げた手でフレデリックの金色の頭を一度だけ撫でる。大事そうに添えられた辰巳の大きな手は、フレデリックに幸せを感じさせるのに十分なあたたかさを持っていた。 「僕の辰巳…」  小さく呟いて辰巳の躰を抱き締める。お前がいないと生きていけないと、そう言って涙を流す辰巳の姿はフレデリックの目にしっかりと焼き付いていた。それは確かにフレデリックが望んだ言葉だが、そんな形で聞きたかった訳じゃない。もう二度と、辰巳にあんな姿はさせないと心に強く思うフレデリックである。  やがてしっかりと意識を取り戻した辰巳は、フレデリックを一度だけ強く抱き締めて膝から下りると、ぐったりとソファに身を沈めた。あちこち汚れているのを気にする余裕などない程に疲れ切っている。  傷が塞がるまで我慢をさせておいて良かったと、心から思う辰巳だ。一度火がついてしまえば辰巳もフレデリックも自制など利きはしない。それに、中途半端に抱かれるなど辰巳は御免である。 「煙草寄越せ」  掠れた声に、フレデリックは火を点した煙草を辰巳の唇に挟みこんだ。一切動こうとしない辰巳に、灰が長くなった煙草をフレデリックの長い指先が摘まみ上げ、灰を落としては再び戻す。横着にも程がある辰巳だが、その心には罪悪感などこれっぽっちもない。 「お前はホントに加減てもんを知らねぇな…」 「気持ち良かっただろう?」 「はぁん? 気持ち良くすんのなんざ当たり前だろぅが。どれだけ我慢してやったと思ってる」 「おかげで僕は自信を失いかけたよ」 「知るか阿呆」  短くなった煙草を、躰を起こした辰巳は自分で揉み消した。あちこちベタつく躰に顔を顰めながら、風呂とそう短く告げる。  湯を張りに浴室に入ったフレデリックを視線で追って、辰巳は呆れたように溜め息を吐いた。いったいどんな鍛え方をしたならばあれ程の体力がつくのだろうか。  フレデリックがバテる様など、十二年で一度も見た事がない。  デッキから落ちても、記憶を一時失ったとはいえ身体的には頭を数針縫っただけなのだ。骨折も捻挫もしていなければ、フレデリックは躰には擦り傷ひとつ負ってはいなかった。  化け物だと、そう思う。なにせ一緒に落ちた男は落下の衝撃で死んでいるのだ。しかもフレデリックの上に男は乗っていた。それを思えば化け物という言葉以外に、辰巳に思いつくものなどなかった。  フレデリックが他人に価値を見出せない理由はきっと、フレデリック自身が完璧すぎるからなのだろうと辰巳は思っている。歪んだ思考はさて置き、普通であれば自意識過剰と思えるような言動でも、フレデリックにとってそれはただの事実でしかない。  人は時として、受け入れがたい現実に直面すると目の前で起こった事象でさえも否定する。それを目の当たりにし続けていれば、他人に価値など見いだせる筈もないのだ。  仮面を纏ったフレデリックの印象は、物腰柔らかく温和で優しい人物だ。もちろん他人に好かれているし、頼りにもされている。だが、いくら表の顔を受け入れられても、フレデリックの心が満たされる事はない。  辰巳がそれに気づいたのは、もう随分と昔の事だ。  浴室から戻ったフレデリックの前髪を辰巳は掻き上げた。一応傷は塞がっているとはいえ、抜糸したばかりで赤黒い血液がこびりついている。どうやら悪化はしていない様子に、辰巳はほっと息を吐いた。 「そんなに心配しなくても大丈夫だよ辰巳。それよりも僕は傷を見られている方が嫌だ」 「あぁん? 人が怪我すっと不機嫌になるくせに何言ってやがんだお前。仕置きに一日前髪あげさせんぞ」 「嫌だっ!!」  髪をあげる手をベシッと勢いよく叩き落とすフレデリックに、辰巳が舌打ちを響かせる。 「痛ぇだろうが」 「僕の嫌がる事をするのが悪い」 「ったく、人には散々怪我すんなっつっといて何様だお前は。心配されたくなけりゃ怪我すんじゃねぇよ」  くしゃりと金色の頭を撫でた辰巳が優し気に言えば、フレデリックは小さく頷いた。素直なその姿に辰巳は満足する。  やがて湯が溜まった事を知らせる音が聞こえて、辰巳とフレデリックは二人で風呂に入った。フレデリックの怪我以降、シャワーではなく湯船に浸かる事が多くなった二人である。理由はフレデリックの怪我の場所だ。額の傷を濡らさずに髪を洗うには、浴槽に浸かって縁に寄り掛かるとちょうどいいのである。  二人とも躰が大きいため一緒に湯に浸かる事は出来なかったが、フレデリックの髪だけは辰巳が洗ってやっていた。当初、傷を見られたくないと嫌がるフレデリックを宥めすかすのには苦労した辰巳だ。どうしてそこまで嫌がるのか不思議でならないが、フレデリックも今はもう慣れて大人しく髪を洗われるようになった。 「お前、どうしてそんなに傷見られんの嫌がんだよ?」 「恥ずかしいじゃないか」 「ああそうかよ…」  フレデリックのナルシシストっぷりに、辰巳は呆れたように肩を竦めた。よくもまあこれまで傷ひとつ負うことなく仕事をこなしてきたものだとそう思う。いやむしろ、ナルシシストだからこそフレデリックが傷付かずにここまでやってこれたのかもしれないと、そう思うと少し恐ろしくなる辰巳である。 「少し沁みるかもしれねぇぞ」  一声だけかけて、辰巳はフレデリックの傷を親指の腹で軽く擦った。抜糸の際に滲んだ血液が消えて、傷痕だけが綺麗に残る。その傷に、辰巳は無意識に口付けを落としていた。 「っ……辰巳…」 「んあ? ああ、悪ぃ。痛かったか?」 「痛くは…ないけれど…」  驚いた…と、そう言ったフレデリックの頬が僅かに紅潮しているのをみて、辰巳は小さく笑う。 「可愛くてつい…な」 「どこが? 傷なんて引き攣れて醜いだけじゃないか」 「全部だよ」  悪ぃか? と、そう言って辰巳はフレデリックを抱き締める。  バシャッと水音がして、フレデリックが顔を覆った。狡い…と、そう呟く。両手に覆われてくぐもった声が浴室に響いた。 「それは…反則だよ辰巳…」 「傷があろうがなかろうが…俺はお前が可愛いよ、フレッド」 「……死ぬ…」  そう小さく呟くフレデリックに、辰巳の豪快な笑い声が浴室に響き渡る。 「お前、普段自分のしてっ事自覚したか?」 「ッ!! キミは意地が悪い!」 「お前ほどじゃねぇよ」  くだらない遣り取りをしながら浴室からあがり、辰巳とフレデリックはそのまま寝台に転がった。すぐさま胸に頭を乗せてくるフレデリックを暑いと押し遣り、辰巳は煙草に火を点ける。幾らか拗ねた顔をしながらも躰に浮かぶ汗を拭うフレデリックは、間違いなく可愛い嫁だった。  ここまで甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる嫁などいないだろうと、辰巳は思う。  口では物好きだと言いながらも、これくらいの世話焼きでないと自分が満足できない事を辰巳は自覚していた。  タオルでせっせと躰を拭うフレデリックの表情には、一切不満の色はない。それどころか嬉しそうに笑っているのだから手放せる筈がないのである。 「寝るか」  短くなった煙草を揉み消して短く告げる頃には汗も引いていた。抜糸も済んでようやくいつも通り辰巳の左側に陣取ったフレデリックが、嬉しそうに胸に頭を乗せる。辰巳の心臓の音に耳を澄ませて目を閉じると、フレデリックは小さく囁く。 「おやすみ…辰巳」 「ああ」
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