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「後で聞くよ。今は急いでるから」
そんなわたしの態度に、寺島君は肩をすくめ苦笑いを浮かべた。
「落としたんだろ、学生証」
だから急いでいるのだ、と返そうとした。
寺島君はわたしの腕を放すと、薄いダウンジャケットのポケットから何かを取り出す。
「俺が拾っといたよ」
それは、わたしの顔写真が貼ってある学生証だった。
学生証と寺島君の顔を、ぽかんと交互に見た。
高いところから、寺島君がわたしを見下ろしている。苦笑いはもうなく、しょうがないやつだなと言わんばかりの顔をしていた。彼の吐く息が、薄く白くけむる。
「高橋は、本当によく物を落とすな」
わたしに学生証を受け取らせた彼は、バッグの中をごそごそと探った。
「しかも肝心な時に、肝心な物を落とす」
見慣れたお菓子もわたしの手に握らせる。
「もうすぐ始まるから、早く行こう」
わたしがお礼を言う前に寺島君は大股で歩き始めたので、慌てて彼を追いかけた。
同じ学科で学生番号が近く、受講科目も重複しているものがいくつもある。寺島君と顔を合わせる機会は多くて、彼の後ろ姿はすっかり見慣れていた。
その後ろ姿に、一年前の紺色ブレザーを着た受験生の背中が重なって見えた。
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