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それらの中で、会社勤め約四十年の間中、ずっと使い続けたという革製の鞄と、その鞄と同じ素材で作られた定期入れがあった。僕の親父が自転車通勤で定期を持たない人だったので、その鞄と定期のセットに僕は特別な印象を抱いた。リサイクル店に持ち込んでも買い取りしてもらえない程に、古く型崩れしたそれらが、まさに祖父の貫禄ある歴史に思えた。
「キャメル色だね」
使い込まれすぎて鞄の角は全て黒色に変色をしていたものの、僕はその頃買ってもらった色鉛筆から、覚えたての色の名前を呟いた。すると祖父は、
「ほぉ。この鞄はそんなカタカナの色なのかい。おじいちゃんは黄土色じゃと思とった」
と、少しかすれた低い声で言って、僕の頭を撫でた。皺だらけの右手が、ずしりと重かったのを覚えている。
そんなやり取りをしたあの日から、どれほど時間がたっているのだろう。
祖父の死は、家族にとっては覚悟の上のものだったし、特に僕などは「おじいちゃん」と呼ぶ老いた存在だったので、寂しさと繋がるような悲しみはあったけれど、別れについては幼心に納得もしていた。
そして、持ち主が居なくなった、眼鏡や鞄や定期入れたちのその後の行方を、僕は知らない。形ある祖父の象徴が、蒸発するかのようにいつしか消えていく中で、例えば朝食の献立のように、家のどこかにその人の存在が残るというのは、いざ当人が居なくなってみることで、それはあって良いもののように改めて感じる。
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