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…… 旅路 ……
孤高ならまだいい
才もなく落ちぶれていくだけの孤独など価値もない。
足掻くだけ足掻いて飛び散らかした後に咲く花など存在しない。
生きる意味を知り得て生きるしか
命を燃え尽くして灰になるまでこの苦しみから逃れることなど出来ない。
せめてこの灯を役立てるものはないのかと探す旅の半ばにありて。
人には幾つかの感情が存在している
喜怒哀楽によって笑ったり泣いたりと
それを目で見て分かるように表現することも出来る
時としてそれを隠すことも。
感受性や共感性の高い相手にしてみれば
隠したところで無駄なのである。
目は口程にものを言う……
言葉の端々に心は正直にそれを見せてしまう
例えば、周囲に感受性や共感性の高い人物がいなければ
“誰にも分かってもらえない”と嘆くのではないだろうか。
果てには“理解されない自分の生きる意味はあるのか”などと
虚構のうちに感得することも忘れてしまうかもしれない。
忘れてはならないことがある。
人は決して一人では生きてはゆけないという珍しくもない言葉。
何故自分がそこに存在しているのかを知っているはずなのに忘れ
何故生まれたのか、といった哲学的な思考を繰り返す。
スピリチュアルの世界にその答えを導き出されても
そこで選択する意志が必要になる。
その時点で一人ではないのだと気が付くのかそうではないのか
人との繋がりに気が付き感謝する心があるのかないのか。
生きるという旅には常に何かの選択に迫られているのだと知る。
私もまた、選択を見誤り失敗を繰り返しては後悔の念に晒される。
そうすることが選んだはずの結果であっても
後から考えれば必然であり運命だったのだと
もう一人の自分に教えられてしまうんだ。
過去の過ちは短い命だけの問題ではなく
ひとつの“個”としての反省と摘み取りであると知った時
初めて自分を許すことが出来、初めて真の涙を流した。
罰ならば甘んじて受けてそれに身を投じるしかない。
足掻いた足跡に撒かれた奇跡のために。
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