第一章

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「……ああ、カバンなら準備室にあるぞ? 昨日、お前が置いてったから盗難されないよう俺が持ち帰った。無用心だな」 「教室に取りに戻ったんですよ」 「そうか? 俺は準備室で待っていろ。と言ったはずだが?」 「そうでしたっけ。鍵貸してもらえますか? カバン取りに行って来るので」 「申し訳ないが鍵は貸せない。放課後取りに来なさい」  斎藤はここぞとばかりにビシッと言った。大人を舐めんなよ。と心の中でニヤニヤとほくそ笑む。 「俺のお昼ご飯は?」  咲良が発したクレームも斎藤の想定内。すぐさまポケットから財布を取り出し、五百円玉を咲良へ「はい」と渡した。五百円あれば購買で惣菜パン三つと牛乳が買える。 「あとで返してもらうよ」 「意外とケチなんですね」  咲良は手のひらの五百円玉を見つめ、無表情でポツリと呟いた。手のひらの硬貨に呆気にとられているようだ。今時の学生はブランドの財布を持っていたり、サラリーマンの小遣いより自由になる金を持っていると聞く。札じゃなくて硬貨なのを心底驚いてる顔が腹立たしかった。しかしここでムキになればやはりそれも負けなのだと斎藤は思った。理性で押し留め、冷静に言い返す。 「済まないな。安月給なんだよ。どうしてお前に奢る義理がある?」  咲良は首を竦め「ふふっ」と小さく笑うと、手のひらの五百円玉をポケットに入れ、お礼もなく席へ戻って行った。  あんな場面を見られたにもかかわらず、その日の咲良も特にいつもと変わった様子は無かった。昨日見た姿が何かの悪い夢のような気さえしてくる。  本当に夢だったら良かったのに……。  それは紛れもない斎藤の本心だった。
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