思い出になれない犬

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帰宅し、ゴンタと散歩へいく毎日。夕方というシチュエーションのなか、犬と散歩をするということももちろん、叶った夢の1つであった。しかし夢が叶うということは、叶って終わりではなく、夢のような現実の始まりだった。 小山を切り開き整地された、別荘地のような住宅地のため、近所の道という道は、どこをどう通ろうとも起伏だらけ、坂道ばかりである。登れば下るし下れば登らなければならないのである。中学校の三年間僕はこの道を通学してきた。だからゴンタとの散歩コースなどとるにたらない道のりではあったが、厭なことがあったり、わけもなく不機嫌だったりすると、腰も足取りも重たくなった。 毎日の散歩に辟易としてしまうこともあった。たかだか30分程度の散歩も平坦であればたやすいが、起伏だらけとなるとひと仕事にも感じてしまう。けれどそれはそれ。犬を飼うということは、楽しいことばかりだが、楽なことばかりではないのであった。 たいした理由もなく、ただなんとなく僕のむしの居どころが悪いというだけで、散歩をめんどうくさく感じてしまい、母に何度も促され、渋々ゴンタを連れていくこともあった。けれどそこは、ゴンタの預り知らない、僕の勝手な都合である。ゴンタはいつでも元気いっぱいである。ゴンタはとにかく散歩にいきたいのである。散歩の時間が近づくにつれ「クゥ~ンクゥ~ン」と聞こえよがしに甘え鳴きを始める。しばらくすると「散歩コール」が盛大に始まり、そのうち鳴りやまなくなる。そんなゴンタに、わがままさを感じてしまい、苛立ってしまうこともあった。 ふだんはリードをグングンと引っ張り、僕を強引に走らせるくせに、こちらのむしの居どころが悪いときにかぎって、ゴンタはよく立ち止まった。すこし進んでは道の端を何分もかけてクンクンと嗅ぎ、またすこし進んではウロウロとしながら嗅ぎまわる。薮の中に入ろうとしてみたり、来た道をまた戻ろうとしてみたりもする。散歩をさっさと済ませてしまいたい僕の思惑通りに、ゴンタが動いてくれないのである。いや、むしろ反抗しているかのような態度でもある。 そのたびにイラつき、無理やりにでも進みたい僕は、立ち止まろうとするゴンタの意思を無視し、リードを短く持ち、わざと強めに引っ張ったり、悪いことなどなにもしていないのに、小さなことで目くじらをたてたりもした。ゴンタはきっと理不尽な思いをしていたにちがいない。
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