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私が勉強すると、両親はよろこんでくれた。
「やはり、うちの娘は天才だな」「そうね、これなら大人になっても立派に育つわね」
元から素養があるように言ってたけど、私は違うと思う。単純に育て方がよかったのだ。両親は働き盛りに結婚したが、父の祖母がいたので、主に私の世話をしてくれたのは祖母だった。両親は共に一流企業に勤め、祖母も教養豊かな人であるから、育て方も、教養の大切さも身に染みた。だから、自然と私も真似るように勉強していたのだろう。
そういう意味では感謝している。
だから、と続けるとこれは言い訳になるのだが、私は別に天才だったのではない。
先天的な才能なんて何もなかった。ただ、後天的なものが恵まれていただけで、本当に天才といわれる人達には一歩も二歩も遅れていて、それが明確になったのは高校から。だ。私立でも多少色恋に目覚める年頃だが、私は勉学に費やし、高校も偏差値の高い場所を選ぶ。そこの卒業生は最低でも六大学に入るか、のとこで、どいつもこいつもエリートばかり、あぁ、これが本当に選ばれた人達なんだなと悟り、重くなり、、それでいて三日の欠席でも致命的なこの進学校は、私にとって逃げ場のない地獄だった。
青いブレザーを着て、朝から電車に乗って通学する。
電車から大量の人が降りる際に、私はこのまま消えてしまいたくなる。大勢という海に呑まれて、どこか遠いところに消えたくなる。
祖母は数年前に死んだ。
『勉強というのはね、楽しいものなのよ。明美ちゃん』
と、祖母は私に教えてくれた。
このとき、私は固定概念に囚われていて、というか今も囚われていて、祖母の言ってることが理解できなかった。勉強が楽しい?
おいおい、どこがだよと、全国の子供たちは同意してくれるだろう。だが祖母は、そんな言葉も真っ正面からぶつかるように『うふふ』と笑う。
祖母は教師だったらしい。
長い間、生徒から愛される人だったようだ。老年になり引退しても、祖母のもとに来る元生徒のおじさんやおばさんは多かった。祖母は、楽しい勉強を目指していた。
『どんなことも、嫌々じゃ身に付けない。好きなものじゃなきゃね。いえ、本来勉強は自然と好きになるもの――知識や技術を身に付ける。学ぶという行為は、変わるということだから』
変わる?
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