0人が本棚に入れています
本棚に追加
彼が私の前から姿を消してからというもの、私は誰彼構わず悪感情を振りまく事がなくなったけれど、その代わりに例え様のない不安が私の背後につねに纏わり付いてくる様になった。彼に新しく与えた任務は私の統治する街の治安を守るという物だったのだが、その任務に就いてからというもの日増しに彼は人の感情を取り戻す様になったのだ。それは機微なものであったけれど彼を見ていた私達にはそれがすぐに分かった。下僕達は人に戻りつつある彼を見て喜んだ。私だって嬉しかった。だけど彼が完全に人の心を取り戻すのに恐れも抱いていた。だってそうでしょう? 元々彼は私を殺すために送り込まれた存在なのだから。
彼が人としての感情を取り戻した時、どんな風になっているのかは誰にも分からない。私の中で期待と不安と恐怖が混ざり合った得体の知れない脈動が大きくなっていく。そんな時だった。下僕の一人が街を巡回中に彼の姿を見かけたのだが、その時彼は商店街にある花屋の娘と立ち話をしていたらしい。花屋の娘は騎士憧れる乙女の顔をしていたというではないか。私はその話を聞いて、堪えきれない程の憤怒が心を赤熱化させてとんでもない命令を彼に与えてしまった。
「君、街では女の尻を追いかけ回して随分と楽しそうないか」
「いや、いつも巡回をしていたら声を掛けられただけだ」
彼らしい返答に私は少し安心したけれど、それでも不安はまだ私の心に居座り続ける。彼が街の人間達と触れ合い人の心を取り戻した時、彼の一番近くに居るのは誰なのだろうか。少なくても私や下僕達ではない。名も知らぬ花屋の娘かはたまたパン屋の娘か……。
最初のコメントを投稿しよう!