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 玄関に現れた濡れ鼠――つまり、僕だ――と対面した文緒先生は、僕の脚と門戸から玄関まで続く、色濃く残った濡れた足跡を一度だけ交互に見遣って、ニヤと笑う。  ――どんなヤンチャをしたのですか?  こちらを見据える彼の顔にはそう書いてあって、僕は正直に事の顛末を伝えた。……まあ、隠すことでもないし。 「そうですか、そのようなことがあったのですね。子狸を救けた英雄殿を玄関先で追い返すわけには行くまいよ。ほんの少しだけお待ちなさい。今、お湯と替えの服を用意しますから」  僕から事情を聞いた文緒先生は、遣いの用件もそこそこに切り上げてくれて、有り難いことに浴室へと案内してくれた。 「服が乾くまでは、私の物ですみませんが、その服で我慢なさいね。下ろしたてで、まだ袖を通してもいないので、清潔ですから。洗った衣類の干場はあちらですので、速やかに干しておいでなさい。それが済んだら、じきに出掛けますよ」  先生の指示は、兎にも角にもテキパキとしている。  彼に促されるままに、濡れた脚を洗い、用意して頂いた清潔な服に着換え、汚れた服を洗濯して干して……と、なんとも忙しないことこの上ない。  漸く洗濯を干し終えて、応接間に赴けば、先生は何やら荷造りをしていた。 「お出掛け先はどちらですか?」  座卓に広げられた遣いの品――我が家で季節ごとに拵える、旬のご馳走(果物のジャムや甘露煮等)の瓶詰めから数本を取り、あずま袋に入れ直している先生に尋ねると、彼はにっこりと笑う。 (ん? なにかあるな、コレ)  先生が殊更ににっこりとする時は、なにか企てがあるものと相場が決まっている。  はてさて、一体、何処に連れて行かれるのやら。 「君と縁のある、とっておきの場所ですよ。そちらでお遣いの続きを済ませてからお昼を頂きます」 「縁ですか? それに、お遣いの続きって……」  昼食を、と言うのなら、目的地は飲食店なのか。  それに、『お遣いの続き』とはなんだろう。  父から指示されたことは完遂した筈だが、他にもまだなにかあったのか。 「さあさ、仕度も済んだので、出掛けましょうかね。履物はこちらですよ」  玄関で下駄を掲げ、ほらほら早く、とこちらを急かしてくる。  なんだろう。  先生の語る丁寧な口調に、そこはかとなく感じる強引さが、彼と腐れ縁……もとい、旧知の仲である父を彷彿とさせた。
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