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◆◇◆◇
僕の知り合いには、人間に化ける猫もいるし、狸や狐は化けると聞いたことがある。
でも――
(人に化けてパン屋を営む狐と狸の一家なんて初めて聞いた。絵本みたいだな)
現在、土産用のパンを物色中なのだが、頭の中ではずっと、この店を切り盛りする者達のことと、ついさっきまで繰り広げられていた騒動について考えていた。
まず、この"タヌキツネのパンやさん"は先述のとおり、狐のパン職人と狸の店員のご夫婦と、その子ども達が協力して営んでいる。
それで、そんな彼らと僕の間で、何が起こっていたのかと云うと、まあ、一言で言えば、頭の下げあいだ。
まず、一家の居住スペースにある居間に通された僕と先生は、パン屋のご夫婦と改めて挨拶をかわした。
で、その後は、彼らによるお辞儀の嵐だ。
溺れた里一を救ったことへの感謝。
彼がうっかり僕のストールを持ち去ってしまったことへの謝罪。
父に代わり、僕が渡すこととなった贈答品へのお礼。
一家の正体はくれぐれも内密にしてほしいという頼み。
これだけ内容が揃うと、頭を下げる方は大変だ。
ずっとペコペコと頭を上下させていたパン屋夫婦を見る内に、誰も悪くはないのに、幾度となく頭を下げさせていることがあまりに忍びなくて、会話の内容に集中できなかった。
終いには、もう頭を上げてくださいと頼んだほどだ。
当惑する僕を傍らで黙って見ていた先生は、肩を震わせて笑うだけなのだから、この人も父に負けず劣らずイイ性格をしている。
「なあ、兄ちゃん! ちゃんと聞いてってば! このコロッケパン、ソースにミソが入ってて、うまいよ」
「あ、ああ、本当だ。美味しそうだね」
「だろー」
僕の腕をグイグイ引っ張り、声を上げて自分の存在を主張し、店の商品をお薦めする里一少年により、思考の海を漂っていた僕は、現実に引き戻された。
少年の勢いに流されるまま頷くと、彼はそれを購入の意思と捉えたらしい。
大きなコロッケパンをトングでむんずと掴み取り、問答無用で僕のトレイに載せたのだった。
里一は正体がバレてからこのかた、何故か妙に嬉しいやら楽しいやら、喜色満面で僕の隣に陣取っている。
レジ係をしている彼の中学生の姉に、手伝えと叱られても、構わずに僕の相手を続けていた。
自分がどうして、こんなにも彼に懐かれているのか、ひょっとして、パンを沢山買わせる良いカモと認定されたからなのか、と訝しみながらも、僕は全力でパンを薦めてくる里一に声を掛ける。
「お姉ちゃんの言うとおり、お店を手伝いな」
「てつだってるし。こうして、兄ちゃんをセッキャクしてんじゃん」
"接客"などという、子供にしては難しい言葉を使う辺り、小賢しいじゃないか。
この里一という少年、秋の川に落ちるくらい腕白で、ああ言えばこう言う生意気なところは、いかにも家族が手を焼きそうだ。
だが、それでもどこか憎めないのは、彼の持つ愛嬌のなす技か。
わからないのは、一度は本気で逃げ出した相手に、こうして自分から絡みに来ていることだ。
人間の姿に化けて、警戒心が薄れているのか、幼い故の好奇心がそうさせているのか。
どうにもこの子には、放っておけない危うさがある。
「里一は川に落ちた時、なんで狸のままだったんだ? あのくらいの川の深さなら、人間の姿の方がまだなんとかなったろうに」
彼の正体を知ってから気になっていたことを尋ねれば、少年は途端に顔を赤くして俯いた。
「か、川におちてびっくりして、元のカッコーにもどっちまったんだよ。変化するヨユーなんてねーよ」
つまり、変化の術の制御がまだまだ未熟ということか。
服の下に隠れた尻尾が、その最たる証というわけだ。
「タヌキのカッコーでヒトに会うと、つかまってイタイ目にあうって、父ちゃんと母ちゃんが言うからさ。ホント、川からかえるまでこわかったー」
当時の記憶が蘇ったのか、里一は頭を左右に振って不安を払い除ける素振りをする。
人間に変化して人間社会で生きていながら、彼らは、狸や狐として人間を恐れている。
聡いからこそ、手放しで人間を信用しない。――自分達が人でないものと知られた時、人間からなんらかの害を受けるかもしれない恐れがあるから。
だから、パン屋のご夫婦は、幾度となく頭を下げて自分達の正体の口止めを頼んだのだろう。
「大変だね、君らは」
「だろー?」
僕の思惑を知ってか知らずか、里一はウンザリした顔をしたかと思えば、今度は何故か嬉しそうに、僕の脇腹に軽く体当たりしてきた。
「兄ちゃんは、おれをたすけてくれたカッコイイやつだし、ウチのパンをうまそうに食うから、おれは好きだぜ」
「それは嬉しいね」
小さな頭をグリグリ撫でると、里一は擽ったそうに笑った。
うん、彼が楽しそうでなによりだ。
里一によりトレイに山盛り積まれたパンは、パン屋のご夫婦のご厚意で、更にカンパーニュを山ほど添えられた上で、贈り物として戴いた。
「こちらは、たくさんによくしていただいたお礼です。今後とも、"タヌキツネのパンやさん"をどうぞ宜しくお願いします」
その言葉には、一体どれだけの意味が込められているのだろう。
そう思案していたら、先生が笑顔で僕の脇腹を肘で突いた。
「そこはね、無粋なことなど一切考えず、にっこり笑って、『ありがとう』と素直に受け取りなさい。そうすれば、次に君がこちらに訪れた際も、笑顔で迎え入れられますから」
先生は、なんでもお見通しだ。
これだから、僕も、そして父も彼には敵わないのだ、きっと。
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