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 僕の知り合いには、人間に化ける猫もいるし、狸や狐は化けると聞いたことがある。  でも―― (人に化けてパン屋を営む狐と狸の一家なんて初めて聞いた。絵本みたいだな)  現在、土産用のパンを物色中なのだが、頭の中ではずっと、この店を切り盛りする者達のことと、ついさっきまで繰り広げられていた騒動について考えていた。  まず、この"タヌキツネのパンやさん"は先述のとおり、狐のパン職人と狸の店員のご夫婦と、その子ども達が協力して営んでいる。  それで、そんな彼らと僕の間で、何が起こっていたのかと云うと、まあ、一言で言えば、頭の下げあいだ。  まず、一家の居住スペースにある居間に通された僕と先生は、パン屋のご夫婦と改めて挨拶をかわした。  で、その後は、彼らによるお辞儀の嵐だ。  溺れた里一を救ったことへの感謝。  彼がうっかり僕のストールを持ち去ってしまったことへの謝罪。  父に代わり、僕が渡すこととなった贈答品へのお礼。  一家の正体はくれぐれも内密にしてほしいという頼み。  これだけ内容が揃うと、頭を下げる方は大変だ。  ずっとペコペコと頭を上下させていたパン屋夫婦を見る内に、誰も悪くはないのに、幾度となく頭を下げさせていることがあまりに忍びなくて、会話の内容に集中できなかった。  終いには、もう頭を上げてくださいと頼んだほどだ。  当惑する僕を傍らで黙って見ていた先生は、肩を震わせて笑うだけなのだから、この人も父に負けず劣らずイイ性格をしている。 「なあ、兄ちゃん! ちゃんと聞いてってば! このコロッケパン、ソースにミソが入ってて、うまいよ」 「あ、ああ、本当だ。美味しそうだね」 「だろー」  僕の腕をグイグイ引っ張り、声を上げて自分の存在を主張し、店の商品をお薦めする里一少年により、思考の海を漂っていた僕は、現実に引き戻された。  少年の勢いに流されるまま頷くと、彼はそれを購入の意思と捉えたらしい。  大きなコロッケパンをトングでむんずと掴み取り、問答無用で僕のトレイに載せたのだった。  里一は正体がバレてからこのかた、何故か妙に嬉しいやら楽しいやら、喜色満面で僕の隣に陣取っている。  レジ係をしている彼の中学生の姉に、手伝えと叱られても、構わずに僕の相手を続けていた。  自分がどうして、こんなにも彼に懐かれているのか、ひょっとして、パンを沢山買わせる良いカモと認定されたからなのか、と訝しみながらも、僕は全力でパンを薦めてくる里一に声を掛ける。 「お姉ちゃんの言うとおり、お店を手伝いな」 「てつだってるし。こうして、兄ちゃんをセッキャクしてんじゃん」  "接客"などという、子供にしては難しい言葉を使う辺り、小賢しいじゃないか。  この里一という少年、秋の川に落ちるくらい腕白で、ああ言えばこう言う生意気なところは、いかにも家族が手を焼きそうだ。  だが、それでもどこか憎めないのは、彼の持つ愛嬌のなす技か。  わからないのは、一度は本気で逃げ出した相手に、こうして自分から絡みに来ていることだ。  人間の姿に化けて、警戒心が薄れているのか、幼い故の好奇心がそうさせているのか。  どうにもこの子には、放っておけない危うさがある。 「里一は川に落ちた時、なんで狸のままだったんだ? あのくらいの川の深さなら、人間の姿の方がまだなんとかなったろうに」  彼の正体を知ってから気になっていたことを尋ねれば、少年は途端に顔を赤くして俯いた。 「か、川におちてびっくりして、元のカッコーにもどっちまったんだよ。変化するヨユーなんてねーよ」  つまり、変化の術の制御がまだまだ未熟ということか。  服の下に隠れた尻尾が、その最たる証というわけだ。 「タヌキのカッコーでヒトに会うと、つかまってイタイ目にあうって、父ちゃんと母ちゃんが言うからさ。ホント、川からかえるまでこわかったー」  当時の記憶が蘇ったのか、里一は頭を左右に振って不安を払い除ける素振りをする。  人間に変化して人間社会で生きていながら、彼らは、狸や狐として人間を恐れている。  聡いからこそ、手放しで人間を信用しない。――自分達が人でないものと知られた時、人間からなんらかの害を受けるかもしれない恐れがあるから。  だから、パン屋のご夫婦は、幾度となく頭を下げて自分達の正体の口止めを頼んだのだろう。 「大変だね、君らは」 「だろー?」  僕の思惑を知ってか知らずか、里一はウンザリした顔をしたかと思えば、今度は何故か嬉しそうに、僕の脇腹に軽く体当たりしてきた。 「兄ちゃんは、おれをたすけてくれたカッコイイやつだし、ウチのパンをうまそうに食うから、おれは好きだぜ」 「それは嬉しいね」  小さな頭をグリグリ撫でると、里一は擽ったそうに笑った。  うん、彼が楽しそうでなによりだ。  里一によりトレイに山盛り積まれたパンは、パン屋のご夫婦のご厚意で、更にカンパーニュを山ほど添えられた上で、贈り物として戴いた。 「こちらは、たくさんによくしていただいたお礼です。今後とも、"タヌキツネのパンやさん"をどうぞ宜しくお願いします」  その言葉には、一体どれだけの意味が込められているのだろう。  そう思案していたら、先生が笑顔で僕の脇腹を肘で突いた。 「そこはね、無粋なことなど一切考えず、にっこり笑って、『ありがとう』と素直に受け取りなさい。そうすれば、次に君がこちらに訪れた際も、笑顔で迎え入れられますから」  先生は、なんでもお見通しだ。  これだから、僕も、そして父も彼には敵わないのだ、きっと。
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