そこでしか話せない

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 葛西は塀から前方へと首を戻した。   月が雲で隠れ、頭上からゆっくりと闇が広がっていく。  街灯があったはずなのだが、どうしてか、上下左右、すべてが黒一色だ。  これでは歩くこともままならない。  しかも、暗闇に立たされ、不安と心細さに心臓が冷えた。  そんな葛西の前を、音もなく右から左へ小さな光が素早く通り過ぎた。  見ると、やわらかい明かりが灯っている。  葛西は惹きつけられるように、そのオレンジ色へ向かって歩いた。  洋風の店があった。  透明なドアからは店内の一部が窺える。  喫茶店だ。  ドアを開け、中へと一歩、踏み込む。 「いらっしゃいませ」  入って右にある階段を上ると若い男が出迎えてくれた。  年齢は葛西と同じくらいだろうか?  清潔な白色のシャツと腰から下を覆うエプロンを着ている。 「お好きな席へお座りください」  店内は木が多く使われ、中には細工されたものもあり、ビー玉があしらわれていた。  見惚れていると、男がカウンターから声をかけてきた。 「お気に召しましたか?」 「綺麗ですね。動かすことはできるんですか?」  細工はビー玉の幅にあわせた迷路のようになっている。 「残念ながら、固定してあります」  濁りのない透き通った声につられ、カウンターへと腰掛ける。  男はゆったりと笑み、グラスに水を注ぐと葛西の手元に置いた。  客は葛西しかいない。 「どうぞ。メニューです」 「ありがとうございます」  手作りのメニューはコルクのバインダーに挟まれていた。  珈琲の種類が充実している。しかし、睡眠のためカフェインは控えたい。そして、何か食べ物を胃に入れたい。葛西はナポリタンとホットココアを頼んだ。 「飲み物はいつお持ちしますか?」 「食後で」 「かしこまりました」  男は底の深い鍋に水を入れて火にかけ、ピーマンとソーセージを切った。冷蔵庫からスライスされた玉ねぎを出し、バターで炒める。  ふわっといい香りがし、葛西は唾液を飲み込んだ。
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